みなさま
こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
今年2月時点での予定では。
いま頃ロンドンの友人を訪ね、今年で役目を終えるという創設100年超のスタジアムで一緒にサッカーを観て、
その後ひとり東欧で蚤の市を周りながら喫茶で利用するカトラリーやカップほか小物なんかを探している、はずでした。
だからというわけではないのですが、手にして読んだ本がこちら。
『欧州 旅するフットボール』豊福晋(双葉社)1,400円+税
サッカーファンや競技として取り組んでいた人にとって、サッカーが文化になっている国に対してはある種の憧れのようなものがあります。
その土地に、生きる人々に、思想にまで"サッカーが染みついている"といいましょうか。
100年以上続くクラブが多くある欧州では、それぞれのクラブに哲学があり、
それはその土地に住む人たちのアイデンティティにまでなっていることもあります。
生まれてから死ぬまでひとつのクラブを愛する人生に、ぐっときます。
バルセロナ在住で5ヶ国語を操る著者は、選手への取材などで欧州各国を訪れ、先々でバルに入っては地元の人とサッカー談義を交わします。
普段目にする映像や記事では感じられない、サッカーが心身に染み込んだ人々の、その息遣いが伝わってきます。
取材した選手とのことも書かれていて、中でもポルトガルの往年の名プレイヤーであるルイ・コスタと「10番について語る」話が個人的には気に入っています。
現代サッカーにおいてはスピードが大きな要素を占めるようになり、選手個々に求めらるプレーも以前と比べて大きく異なります。
サッカーでエースナンバーとされる10番を背負う選手の役割も変わりました。
それでもなお、先述のルイ・コスタやイタリアのロベルト・バッジオ(両者とも既に現役引退)のような選手が僕にとっては「真の10番」です。
また欧州を訪れるその時が近い将来であることを願っています。
(と、このように紹介を書きつつ、付箋を貼った箇所を見直してみると半分近くが土地のおいしそうな食べものについての記述でした。悪しからず)
今日の追伸はラオスでのサッカーの話です。
〈今週のおすすめ〉
今回は荻窪にあります出版社 雷鳥社の林由梨さんにも本を紹介していただきます。
◇『そんなふうに生きていたのね まちの植物のせかい』鈴木純(雷鳥社)1,600円+税
本書は、"植物観察家"の植物中心の日常・視線を、漫画のようなコマ割りで追体験することができます。
この画期的なページの見せ方はデザイナー窪田実莉さんの案によるもの。
著者の鈴木純さんの植物への愛情や、発見の喜びが伝わるようにと、丁寧に組んでくださいました。
さて、編集の私の役目はなんだったのかというと、植物に詳しくない「素人の疑問」をぶつけて、誰でもわかりやすく読める本にまとめること。
鈴木さんにとっての当たり前が、私にとっては全て初めて聞くこと・見ること。
知らない世界があまりにも多いことに気付かされ、知らないことがあるのって楽しいもんだ!と前向きに思えたのは、
鈴木さんがどんな質問にも率直に答えてくれたから。
この本を読んで、そんな「知る喜び」も体験していただけたら嬉しいです。
そういえば、もともと春に出版するはずだったのに、9月発売になってしまいました。
作った人達のこだわりのせいでしょうか。写真のアングルに最後までこだわる著者。紙だけは譲らないデザイナー。
カバーに「ヤブカラシ」の写真を使いたくて関係者をひとりずつ説得していく編集...。そんなこんなでこの本が生まれました。
(雷鳥社 林由梨)
山陽堂書店では著者 鈴木純さんに11月・1月と青山表参道で植物観察会を開催してもらいました。
そのとき鈴木純さんが仰っていたことで印象に残っているのが、
「学術書にはそう書かれていますが、それが正しいとは限らない」という言葉でした。
研究され解明されたとされる植物の生態も、それはあくまで「そうだと考えられる」ということで、
「みなさんはどう思いますか?」と訊かれたときに、自分で考えてみることの大切さも教えてもらった思いでした。
林さんにとっては初めて担当されたのがこの本とのことです。
大切につくられたことが伝わってきます。
◇『高校生と考える日本の論点2020-2030 桐光学園大学訪問授業』(左右社) 1,800円+税
作家、社会学者、グラフィックデザイナーなど様々なジャンルの大人たちが高校生に語りかける。
著者に出口治明、沢木耕太郎、会田誠、岸政彦ほか(山陽堂書店 林)
《郵送販売》についてはこちらをご覧ください。
〈Bookstore AID〉
まちの書店・古書店をひとつでもなくさないことを目的に始まったプロジェクトです。
今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。
それではまた来週のメールマガジンで。
山陽堂書店
萬納 嶺
追伸
しばらく外国を旅行していたときのこと。
まちでサッカーをしている人たちを見つけては声をかけて混ぜてもらうことをよくしていた。
どこでしたサッカーも印象深く、人によってはその表情やプレーの特徴なんかも、未だ頭と身体に記憶されている。
ラオスのあるまちでのこと。
スタジアム近くを歩いていると、隣接する開けたコンクリートでサッカーをしている人たちがいた。
しばらく様子を見てみると、だいたい30人くらいの人たちが1チーム7、8人に分かれて試合をまわしているようだった。
混ぜてもらえないかと声をかけてみたが、その日はもうすぐおしまいとのことで「また来い」と帰された。
翌日か翌々日だったか、夕方頃同じ場所に向かうと、こないだの面々が集まっていた。
「いいよね?」と自分を指差して輪の中に入れてもらうと、「お前はこのチームだ」といわれ、同じチームだと思われる人たちと顔を見合わせた。
とりあえず試合ではないらしく、彼らにならってフィールドの外に座り、始まった試合を眺める。
みんな結構真剣で、お遊び要素はない様子。
ラオス人がサッカーをするのかすら知らなかったけれど、上手い人はどこにもいることを知る。
試合は時間制だったか何点先取だったか。
とにかく勝者がフィールドに残り、敗者はまた試合がまわってくるまで待つという、いわゆる「勝ち残り」ルールだった。
何試合かあって、「俺たちの番だ」
という手振りについてフィールドに立った。
フォーメーションも何もなく、硬いコンクリート、ゴールはコーンを並べた即席のもの(高さが曖昧なのでしばしば揉める)。
それでも「サッカーの試合が始まるのだ」という高揚感に、少しの緊張と大きな喜びを覚えた。
日が暮れ始めた頃、今日のサッカーはおしまいとなったようで、みんなが帰りはじめた。
僕らのチームは何連勝かして、通算で大きく勝ち越した。
勝利に貢献できたと思えるくらいにはそこそこできたという満足感と、何よりも久しぶりのサッカーが心から楽しかった。
彼らの背中を追うように帰ろうとすると、チームメイトだったひとりから「ちょっと待て」と呼び止められた。
紙幣を数えていた彼は「2ゴールだからこれもだ」と言って最後に数枚足して僕にお金を渡した。
「また○時にここな」そう言って、その日一番プレーで気の合った(と僕は思っている)やんちゃそうな彼は帰っていった。
試合にはお金が賭けられていて、しかも得点給まであったらしい。
手元の紙幣はいつもより少し贅沢な夕食になった。
あのときの試合のいくつかの場面。
自分のパスミスからカウンターをくらい失点してしまったこと、左足のトラップと同時に身体を反転させて相手をかわしたこと、
フィールドを少し沸かせた左足のボレーシュート。
その場面のことと、その場面を思い浮かべながら宿のレストランで満足気に夕飯を食べている自分のこと。
僕はこれからも時々それを思い出すのだと思う。