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2011年4月 6日
NKKテキストロシア語講座のおじさん

今朝、洗物をしていたらあるおじさんを思いだしました。(なんで思い出したんだろう・・・)

今、ご健在だったら100歳は過ぎているでしょう。

私が店番をはじめた40年近く前の13歳の頃から15年くらいロシア語講座を定期購読してくれたお客様。

このおじさんちょっと怖かったです。最初の頃レジで応対するとき、ちょっと緊張していました。

まだ、私ティーンエイジャーでしたし。

かなりの年月を経た頃、いつものようにおじさんのレジの順番がきました。そのとき、おじさんが

「店番うまくなったなあ」

とひとことぼそっと言いました。

「あの怖いおじさんが、こんなこと言ってくれるんだ」

怖いおじさんにほめられたのがうれしかったのですね。

もうずっとお会いしていないけれど、今朝思い出しました、おじさんのこと。

 

2011年4月 4日
かりんの木

karin.jpg

いつの頃までだったでしょう、

青山通り沿いポプラの街路樹に混じって、

かりんの木が所々に植えられていました。

今頃の季節になると薄紅色の愛らしい小さな花を咲かせ、

道行く人がそんな可憐な花に足をとめ、しばし慈しむように見入っていたものです。

お客様ともかりんの花のことで話にまで花が咲きました。

花の時期だったか、必ず女性の親指くらいの大きさの蜂が店に入ってきて、

よくビニール袋を虫網代わりにしてつかまえました。

茶色に変色したべたべたした(よほど蜜が甘いのでしょう)花の残骸が

道に落ちていたのはいったいどの季節だったのでしょうか。

秋に近づくにつれ、かりんの実が大きくなっていきます。

車の通りがあんなに多い青山で、健気にもたわわに実が育っていくのです。

病床のお客様にかりんの実をお届けしたこともありました。

ここ数年、国道246沿いの工事でポプラもかりんの木もなくなってしまいました。

なくなってしまったけれど、かりんの木は、

それにまつわる様々なことを思い出させてくれるのです。

 

2011年4月 3日
 「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。-元旦の天声人語から-

山陽堂便り用のノートがあります。

そこに、気になった俳句や短歌、新聞の切抜きなどをはっておくのです。

その中に、今年の元旦の天声人語がありました。

抜粋します。

 

雪屋根の下の団欒をおもう。

福島県で続く児童詩誌『青い窓』に小学5年の女の子の詩が載っていた。

あたたかいこたつ

家の家族は5人

「5角のこたつならいいなあ」

と、おねえさん

一番あとからはいるかあちゃんは

私と同じ所

私はやっぱり

四角でもいい

ずいぶん前にかかれたそうだ。詩誌を主催していた故佐藤浩さんはこの詩に触発されて、

自らもこんな一行の詩をつくった。

きゅうくつな幸せをわすれていました

その「窮屈」を脱ぎ捨ててきたひずみが、この社会をさいなんでいようか。

家族ならぬ「孤族」という小紙連載が、いたたまれぬ人間砂漠を報じている。

「孤」をのさばらせず、人肌の体温を世に取り戻す意思を互いに持ち合いたいものだ。

人間通だった心理学者の故河合隼雄さんによれば、自立とは独りで生きることではない。

まして孤立ではない。自立している人とは、適切な依存ができて、そのことをよく自覚している人なのだという。

「こたつの詩」に例えるなら、5人用に五角形のこたつを設えて、互いが見えぬよう仕切りまで立ててきた近年ではなかったか。便利と快適さは幸せと同義ではあるまい。

「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。

 

もういちど、この元旦の天声人語にめぐりあえてよかった・・・。

内容なんてすっかり忘れていたし、でも切り抜いているということは取っておきたかったのでしょう。

3月11日の地震の前と後では、読み方も感じ方も変わっているかもしれません。

「きゅうくつな幸せ」

「便利と快適」=「幸せ」、ではない。

幸せってなんだろう。

あまりにも、豊かになって情報があふれて、

気づきづらく見えずらくなってしまった

いまここにある「幸せ」に気づいて、

感謝できますように。

 

 

 

 

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