山陽堂は家族経営の小さな本屋なので、産休も育休もない。
ちょうど今から10年前、妹は生後7ヶ月の赤ん坊といっしょに店に来て、仕事をしていた。
2階の事務室に赤ん坊を眠らせて、インターフォンの受話器をはずし、
1階レジのインターフォンから泣き声がきこえたら、すぐに2階にかけつけられるようにして
店番をしていた。
そのようなわけで、当時は毎日のように赤ん坊を連れて裏の善光寺さんに散歩に行っていた。
ある日、善光寺さんに遊びに行くと、いつもと様子がちがっていた。
本堂に向かって左側のところに、
お花やお供えがあり、お線香があげられるようになっていたのだ。
「なにか特別の日なのかな?」
と思って、帰りに仁王門の前に目をやると、
5月25日の空襲で亡くなった方たちの法要があるという掲示があった。
「ああ、いつもおばあちゃんが話していた空襲のあった日だったんだ。」
そのとき、私の中で、なにかが繫がった気がした。
というよりも、気づかされた気がしたのだ。
後日、善光寺さんにお話を伺うと、
戦後昭和40年まで現在のみずほ銀行横で、毎年法要が行われていたとのこと。
その後、善光寺さんが犠牲者の多かった場所の土を持ち帰り、その翌年に善光寺境内に
『戦災殉難者諸精霊供養塔』を建てたのだそうだ。
そして、毎年欠かさず5月25日の午後1時から法要をされているとのことだった。
何十年もの間法要をしてくださっていたことを、近所なのにも関わらず全く知らずにいた。
翌年は戦後60年ということで、新聞などで「山の手大空襲」のことが取り上げられ、
法要に参加される方も増えてきた。
そして、『表参道が燃えた日』という山の手大空襲の証言集が発売されたり、
みずほ銀行の横に慰霊碑も建てられた。
あれから10年、
一年に一度法要でお会いしていた方たちのお姿がだんだんと少なくなってきている。
あの時、赤ん坊がいなければ毎日のように善光寺さんに行くこともなかったし、
毎日行っていなければ、いつもとちがう様子に気づくこともなかっただろう。
あのとき、10年前の5月25日、なにかに?だれかに?気づかされたような気がしてならないのである。
「わすれないでね。」
・・・と。