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2013年4月19日
スイッチ・パブリッシングの新井敏記さんの中にいた山陽堂の頑固親父。

『コヨーテの旅、編集者の想い』

3月29日、コヨーテ編集長新井敏記さんと新潮社・編集者寺島哲也さんの

エディターズトークがあった。

私は新井敏記さんを紹介するときに、してはならない間違いをした。

「としのり」さんを「としき」さんと読み間違えたのだ。

けれども、そのことによって新井さんは30年近く前の山陽堂での出来事を

思い出しくれた。

 

『SWITCH』を創刊する前、新井さんは『ISSUE』という直販雑誌をつくっており、

都内の置いて欲しいと思う本屋10店舗をリストアップしてまわったそうだ。

(その内の一軒が山陽堂だったとは、なんと光栄な。)

そのとき、書き手がいなかったので、

T.W.フィールズとか外国人の名前までつくって

ひとりで書いていたという。

その中に「としき」という名前もあった。

ありがたいことに、私の言い間違えに新鮮な響きを感じ

その時代を思い出してくれたのだ。

そして、当時のことや山陽堂の話をしてくれた。


「山陽堂さんと今はない吉祥寺駅前の親父には説教くらったんですよ。」

いい意味でこの二人に怒られて、

そのときに新井さんは、ちゃんと雑誌を出そうと思ったという。


新井さんの記憶の中にこのような形で「山陽堂」が存在していたこと、とても嬉しかった。


初代に「お前の代で山陽堂はつぶれる」と言われていた3代目、

新井さんの目に「頑固親父」に映った3代目、

58歳でこの世を去る数年前に原稿用紙に書いた「私の昭和史」を残していった。


その昔頑固親父に

「次もちゃんとでるのか」と言われた雑誌『ISSUE』は、

『SWITCH』『Coyote』と姿をかえてつづいている。

そして山陽堂も三代目でつぶれずにつづいている。


山陽堂エディターズ・トーク『コヨーテの旅、編集者の想い』、

一昔前に蒔かれた種が、時を経て、たくさんの人たちとの出会いを経て、ぽっと花を咲かせてくれた。


「お前の代で山陽堂はつぶれる」と言われた三代目は、姿はなくても、

今もこうして貢献してくれている。



スイッチ・パブリッシング

http://www.switch-pub.co.jp/

頑固親父が残した『私の昭和史』

http://sanyodo-shoten.co.jp/blog/2012/08/post-49.html


(これからは、お名前をまちがえないように十分に注意します。)






 

 

 

 

 

 

 


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