#
ブログ
TOP >ブログ > 10年前の5月25日。
2014年5月23日
10年前の5月25日。
山陽堂は家族経営の小さな本屋なので、産休も育休もない。
ちょうど今から10年前、妹は生後7ヶ月の赤ん坊といっしょに店に来て、仕事をしていた。
2階の事務室に赤ん坊を眠らせて、インターフォンの受話器をはずし、
1階レジのインターフォンから泣き声がきこえたら、すぐに2階にかけつけられるようにして
店番をしていた。

そのようなわけで、当時は毎日のように赤ん坊を連れて裏の善光寺さんに散歩に行っていた。
ある日、善光寺さんに遊びに行くと、いつもと様子がちがっていた。
本堂に向かって左側のところに、
お花やお供えがあり、お線香があげられるようになっていたのだ。

「なにか特別の日なのかな?」
と思って、帰りに仁王門の前に目をやると、
5月25日の空襲で亡くなった方たちの法要があるという掲示があった。
「ああ、いつもおばあちゃんが話していた空襲のあった日だったんだ。」
そのとき、私の中で、なにかが繫がった気がした。
というよりも、気づかされた気がしたのだ。

後日、善光寺さんにお話を伺うと、
戦後昭和40年まで現在のみずほ銀行横で、毎年法要が行われていたとのこと。
その後、善光寺さんが犠牲者の多かった場所の土を持ち帰り、その翌年に善光寺境内に
『戦災殉難者諸精霊供養塔』を建てたのだそうだ。
そして、毎年欠かさず5月25日の午後1時から法要をされているとのことだった。
何十年もの間法要をしてくださっていたことを、近所なのにも関わらず全く知らずにいた。

翌年は戦後60年ということで、新聞などで「山の手大空襲」のことが取り上げられ、
法要に参加される方も増えてきた。
そして、『表参道が燃えた日』という山の手大空襲の証言集が発売されたり、
みずほ銀行の横に慰霊碑も建てられた。

あれから10年、
一年に一度法要でお会いしていた方たちのお姿がだんだんと少なくなってきている。

あの時、赤ん坊がいなければ毎日のように善光寺さんに行くこともなかったし、
毎日行っていなければ、いつもとちがう様子に気づくこともなかっただろう。
あのとき、10年前の5月25日、なにかに?だれかに?気づかされたような気がしてならないのである。

「わすれないでね。」

・・・と。
最近の記事
・いつか山陽堂でお話をしていただきたいと願っていた俳優矢田稔さんとジャーナリスト渡辺みどりさん。
・「PILOT新聞広告展『万年筆からはじまる物語』」のこと。
・去年の夏の水丸さん
・10年前の5月25日。
・肖像画を描いてくれた吉村洋介さんのこと。
・なぜ、松尾スズキさんの「『気づかいルーシ』ー原画展」を開催することになったのか。
・「〈どこかの森〉のアリス展」 のこと。
・『草子ブックガイド展』が実現されるまで。
・68年前の山の手大空襲 5/25青山善光寺本堂13時より法要があります。
・スイッチ・パブリッシングの新井敏記さんの中にいた山陽堂の頑固親父。
・祝・読売文学賞受賞!松家仁之著『火山のふもとで』
・『人が行き交う場所。』 -the catcher in the LIVERARY今村直樹となかまたちのブログから-
・44年前の今日。
・夏葉社さんのこと
・川崎さんの家が跡形もなくなってしまった。
・大きな絵本と写真で知る「子どもたちの命を守る手洗い〜アフリカ・ウガンダでの取り組み〜」
・歯医者さんから見える景色
・城山三郎著『落日燃ゆ』の広田弘毅さんのこと。
・『私たちはあらゆる必然の中で生きていて、偶然なんてないんじゃないかと感じました。』
・桂おばあちゃん、ありがとうございました。
アーカイブ
カレンダー
2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31