どうして、
ここで話すことがこんなに心地いいのだろう?
トークショーも終盤にさしかかった頃、
ふとある光景が頭をよぎった。
ぼくが、大学2年のときだから、1974年だと思う。
青山のブルックスブラザースのビルより少しばかり
青山3丁目寄りに、VAN99ホールなるものがあった。
あの石津謙介率いるVANが、
本社の一階を劇場にして、若者たちが
演劇や映画などを発表する場としたものだった。
入場料99円、名前はそこから来ている。
ぼくは、他の学生たちに混じって、
自分の8ミリ映画を上映させてもらった。
たいして観客は入っていなかったけれど、
ヴァンジャケットの社員らしき人たちが、
熱心に観てくれて「いいねぇ」「がんばれよ」
などと、まるで部活の先輩のように
声をかけてくれたことを覚えている。
もちろん、当時から山陽堂書店はあった。
表参道の駅で降りて階段を登ると、
谷内六郎の壁画がいやでも目に入ってくる。
薄暗い店内には、いつ行っても
雑誌や本がうずたかく積まれていて、
インクや紙の濃厚な匂いが充満していた。
1970年代頃の書店には、
純文学も哲学書もファッションや芸能雑誌や
卑猥な本も雑多にあって、時代の空気が
澱のように溜まっていたものだ。
ましてあの狭さだ。
山陽堂書店にも、当時の書店らしい
高密度で濃厚な雰囲気があったけれど、
たとえば外国のファッション雑誌や、
デザイン関係の本があるという点で、
いかにも青山らしい感じがした。
流行通信や広告批評なんかをよく買った記憶がある。
橋本治や吉本隆明の本も、買ったっけ。
先週、18日土曜日、
ぼくはその山陽堂書店の2階にいた。
自分でも不思議なほど、よくしゃべった。
トークショーのお相手だった
並河進さんのスマートな進行も、
ぼくの気持ちを楽にさせてくれたのだと思う。
参加者は、20数名だっただろうか?
ひとりひとりの表情が、くっきりと見えていたのは、
会場の狭さのせいばかりではない。
なんだか、妙に気持ちが通いあうように感じた。
そして、ふと浮かんだのは、
30年、いや、40年近くも前のVAN99ホールだった。
青山という土地には、特別な意味がある。
時代の流行を生み出す人が、常に行き交う場所。
そう、まるで交差点だ。
トークショーに来ていたのは、圧倒的に若い世代だった。
大学生や院生、仕事を始めて間もない若者。
もうすぐインドの学校で働くという、
澄んだ目をした女性もいた。
かつて石津謙介がそうしたように、
いままた山陽堂のみなさんが、
あの街で人が集まる場所を作る。
大人が、若者にも、何かを得るチャンスを与える。
そこから、きっと、何かが生まれる。
ぼくのトークショーに来てくれた若者が、
この先、30年か40年経った頃、
ふと思い出すことだってあるだろう。
いまの山陽堂は、
かつてと違って、とても明るい。
2011年6月に改装された際、
トークショーの会場にもなったギャラリーができた。
東日本大震災をはさんで「生まれ変わった」
わけだけれど、それもどこか象徴的な気がする。
書店だって、必死に新しい姿を模索している。
(必死かどうかはわからないけれど、
容易い状況にはないことは確かだろう。)
この時代に見合った、
人が行き交う場所をつくり出すために。