山陽堂の歴史
TOP > 山陽堂の歴史 > 谷内六郎
谷内六郎氏による壁画
山陽堂はどれほど六郎さんの壁画に助けられていることでしょう。 3分の2が削られてしまいましたが、残った3分の1に六郎さんの壁画の贈り物がありました。

壁画の経緯ですが、当時の新潮社社長が建築途中の山陽堂の前を通り通勤していたようで、 週刊新潮表紙を飾っていた六郎氏の絵を壁画にしたらと考えたようです。昭和38年(1963年)に完成した黄色い背景の赤い風船の絵が壁画第一号、昭和50年(1975年)に現在の「傘の穴は一番星」に変わりました。
山陽堂はこれからもこの六郎さんの壁画を大切にしていきたいと思っています。

現在

1963年頃
1891年(明治24年)
山陽堂書店創業
1920年(大正9年)
明治神宮創設
1923年(大正12年)
9月1日関東大震災
1924年(大正13年)
10月25日明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)が竣工
1931年(昭和6年)
現在の場所に地上3階地下1階のビルを建て移転
1941年(昭和16年)
太平洋戦争始まる
1945年(昭和20年)
5月25日山の手大空襲で青山表参道一帯は火の海と化す
山陽堂は好運にも焼け残る
8月15日太平洋戦争終わる
1959年(昭和34年)
皇太子・美智子妃の結婚式
(皇居から東宮御所までの祝賀パレードで山陽堂の前を通って行かれた)
1963年(昭和38年)
東京オリンピックのための
青山通り道路拡幅のため山陽堂の3分の2が削られ、谷内六郎氏の壁画のある建物に
1964年(昭和39年)
10月10日第18回オリンピック東京大会~10月24日
1987年(昭和62年)
バブル時に3代目他界
1991年(平成3年)
山陽堂100周年
2008年(平成20年)
ブラタモリパイロット版で山陽堂が紹介される
2011年(平成23年)
山陽堂120周年
2011年 3月5日
山陽堂120周年のこの日を最後に、リニューアル工事のためしばらく休業
2011年 3月11日
東日本大震災
2011年 5月30日
山陽堂書店リニューアルオープン
2011年 6月3日
ギャラリー山陽堂オープン