山陽堂の歴史

山陽堂書店はこの135年間、
こんな風に青山表参道の歴史と共に歩んできました。

1891年 山陽堂書店創業

山陽堂初代萬納孫次郎は、明治元年岡山城下旭川沿い船着町の商家のひとり息子として生まれました。明治21年(1888年)に上京して3年間は芝や京橋で新聞販売業に従事。明治24年(1891年)将来性を感じ、土地柄を気に入った南青山で書店を始めます。もちろん明治神宮も表参道もみずほ銀行(旧安田銀行)もない頃です。
右の写真は大正の頃。青山表参道交差点の根津美術館へ行く道(御幸通り)がなかったとき、山陽堂は表参道のほぼ正面、突き当たりにありました。

1931年頃の店舗

昭和6年(1931年)それまであった所に天皇が通る道、御幸通りを造るため現在の場所に移ることになりました。
親戚筋にあたる深川の建築屋が地上3階地下1階店舗件住宅鉄筋鉄骨コンクリートのビルを建てました。一階の店舗にはステンドグラス、屋上には青緑色の瀬戸焼の屋根瓦がのった和洋折衷の建物、そしてお手洗いは当時珍しかった水洗でした。
山陽堂が移る前ここは豆腐屋で、おいしい水の出る井戸があり建築の際地下室に残しました。それが後々功を奏することになります。
昭和20年(1945年)5月25日山の手大空襲で青山表参道一帯は焼け野原と化しました。交差点周辺は逃げ遅れた人々の遺体でいっぱいでした。好運にも山陽堂は頑丈な建物と地下室の井戸水に助けられ焼け残りました。
右の写真は昭和6年(1931年)頃。そのころ屋上にはためいていた山陽堂の旗と印半纏。

1950年頃に店舗からみた街の様子

戦後しばらくは店舗の3分の2を三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に貸していました。
昭和20年代後半(1950年以降)からは山陽堂では中学を出たばかりの住み込みの勤労学生が働くようになりました。
右の写真は山陽堂の屋上や窓から撮影したもの。とんがり帽子の交番の屋根、正月の獅子舞の人たち、路面電車が通る青山通りの向こうには国会議事堂が見えます。

1962年頃ガラス張りのモダンな建物に改築

昭和38年(1963年)東京オリンピックのため青山通り道路拡幅で山陽堂は3分の1の狭さに。
建物が頑丈にできていた為、壊さずに削ることになりました。右の写真はその時の様子です。

2011年、121年目を迎えた山陽堂書店

うさぎ年生まれの山陽堂、
今年干支を10周しました。

11周目は気持ちも新たに
ギャラリーのある本屋に生まれかわります。

出会いのある空間でありたいと願い、
新しい一歩を踏み出します。

みなさまのお越しを心よりお待ちしています。


これは、山陽堂リニューアルオープンのとき、ダイレクトメールに書かせていただいた文章です。
おかげさまで山陽堂は、2011年6月3日にギャラリーのある本屋に生まれかわり、ひとびとが集える『場』をつくることができました。
以前文藝春秋の「本屋探訪」に山陽堂が掲載され、その記事を読んだ東北の読者から、維摩経(ゆいまきょう・大乗仏教初期の経典)の「燈々無尽」(とうとうむじん)という言葉を思い出したというお葉書をいただきました。一本のろうそくはすぐに消えてしまうけれど次々に灯りをつけていけば尽きることがなく広がっていく という意味だそうです。これまで続けてこられたのも山陽堂の力だけではなく、支えてくれたお客様そして本あればこそです。街の本屋の灯を消さないためにも、これまでお客様や本に鍛えられ育まれてきた「街の本屋の底力」を今こそ発揮して、与えられた『場』を活かし「本屋の灯」を広げていきたいと願っています。

谷内六郎氏による壁画

山陽堂はどれほど六郎さんの壁画に助けられていることでしょう。 3分の2が削られてしまいましたが、残った3分の1に六郎さんの壁画の贈り物がありました。

壁画の経緯ですが、当時の新潮社社長が建築途中の山陽堂の前を通り通勤していたようで、 週刊新潮表紙を飾っていた六郎氏の絵を壁画にしたらと考えたようです。昭和38年(1963年)に完成した黄色い背景の赤い風船の絵が壁画第一号、昭和50年(1975年)に現在の「傘の穴は一番星」に変わりました。
山陽堂はこれからもこの六郎さんの壁画を大切にしていきたいと思っています。
*写真(右)商店建築より
現在
1963年頃

略歴

  • 1891年(明治24) 山陽堂書店創業
  • 1920年(大正9) 明治神宮創設
  • 1923年(大正12) 9月1日 関東大震災
  • 1924年(大正13) 10月25日 明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)が竣工
  • 1931年(昭和6) 現在の場所に地上3階地下1階のビルを建て移転
  • 1941年(昭和16) 太平洋戦争始まる
  • 1945年(昭和20) 5月25日 山の手大空襲で青山表参道一帯は火の海と化す。山陽堂は好運にも焼け残る
    8月15日 太平洋戦争終わる
  • 1959年(昭和34) 皇太子・美智子妃の結婚式(皇居から東宮御所までの祝賀パレードで山陽堂の前を通って行かれた)
  • 1963年(昭和38) 東京オリンピックのための青山通り道路拡幅のため山陽堂の3分の2が削られ、谷内六郎氏の壁画のある建物に
  • 1964年(昭和39) 10月10日~ 第18回オリンピック東京大会
  • 1987年(昭和62) バブル時に3代目他界
  • 1991年(平成3) 山陽堂100周年
  • 2008年(平成20) ブラタモリパイロット版で山陽堂が紹介される
  • 2011年(平成23) 山陽堂120周年
  • 2011年(平成23) 3月5日 山陽堂120周年のこの日を最後に、リニューアル工事のためしばらく休業
  • 2011年(平成23) 3月11日 東日本大震災
  • 2011年(平成23) 5月30日 山陽堂書店リニューアルオープン
  • 2011年(平成23) 6月3日 ギャラリー山陽堂オープン
  • 2013年(平成251月23日コラムニスト天野祐吉氏による谷内六郎氏壁画横に『傘の穴は一番星』のプレート設置
  • 2013年(平成254月8日山陽堂イラストレーターズ・スタジオ(SIS)開講 初代講師 安西水丸氏
  • 2014年(平成263月19日安西水丸氏他界
  • 2015年(平成274月1日山陽堂イラストレーターズ・スタジオ再開 2代目講師 長友啓典氏
  • 2015年(平成27)10月 和田誠氏によるオリジナルブックカバー完成
  • 2017年(平成29)3月4日 長友啓典氏他界
  • 2019年(令和元)10月7日 和田誠氏他界
  • 2020年(令和2)4月7日東京にコロナ禍緊急事態宣言
  • 2020年(令和2)明治神宮100年
  • 2021年(令和3)東京オリンピック2020
  • 2021年(令和3)「水の波紋展2021 山陽堂書店130年の歩みfeat弓指寛治」開催
  • 2023年(令和5)二代安藤広重「諸国名所百景青山百人町星灯篭」山陽堂が版元となり復刻
  • 2026年(令和8)7月 山陽堂書店の建物が、文化庁の登録有形文化財となる