1988年10月12日の午前10時前にサンフランシスコ・シンフォニーホールに未来学者ポールサフォに連れられて、Next Computer発表会に参加した。
1985年9月15日にスティーブ・ジョブスがアップルを追い出されて悪戦苦闘して作り上げた新しいワークステーション型Nextcubeの最初の記者会見である。
ポールに紹介され、緊張した面持ちで握手を交わした。少し強く握った。
ジョブスは「今日はビルがTシャツだからアルマーニで決めたぞ」なんて軽くジョークを飛ばしアドレナリン全開だった。やはりビル・ゲイツは最大のライバルなのかと思いながらカメラマン席の前に陣取った。
椅子はなく自由に動いても良い環境であり、僕はライカM6/21mmを首にぶら下げ、NikonF4/80~200mmを肩にかけていた。
突然ジョブスが静かに登場した。プレスカメラマンが一斉にシャッターをきる。ストロボの光を浴びながらジョブスは一方的にトークを始めた。
少し落ち着いてきたので後ろから300mmでアップを狙った。そのカットがこの本の表紙の写真だ。
それから何度かオフィスでインタビュー写真を撮影するチャンスにも恵まれた。
彼から「神道とは何だい」「俺の1分はいくらと思う」「ライカのどこが良いのかい」などと唐突に質問された記憶がある。
そして時にはドタキャンされた。悔しいので彼のベンツを撮影して帰ったこともあった。
1993年にIT賢者ポートレイト写真集「シリコンロード」を制作するにあたり、ジョブスにモットーをお願いした。
彼は「オブジェクト指向プログラミングは90年代の革命である」とFAXを送って来てくれた。
2003年11月27日、東京の銀座アップルストア・オープニング記念セレモニーでジョブスと12年ぶりに再会した。
PowerBook G4を熱心に紹介して、自分の言いたいことを語り終わると、いきなり壇上からおりて消えて行った瞬間が裏表紙の写真である。
銀座通りに止めてあったハイヤーに乗り込もうとした時、僕は「ヘイ、スティーブ」とカメラを向けた。彼は「ノーサンキュウ」とクールに立ち去って行った。
それ以降会うことはなかった。
縁あって当時のIT革命のレジェンドたちをたくさん撮影したが、アーティストと呼べるのはスティーブ・ジョブスだけだった。