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2012年2月 7日 更新
受付終了しました。2月17日第11回山陽堂トークイベント新潮社編集者3人が語る「できることをしよう。ぼくらが震災後に考えたこと」
受付終了しました。2月17日第11回山陽堂トークイベント新潮社編集者3人が語る「できることをしよう。ぼくらが震災後に考えたこと」

おかげさまで定員満員なり受付終了いたしました。

どうもありがとうございました。

「できることをしよう。ぼくらが震災後に考えたこと」は当店ではただいま品切れ状態、注文中です。

今しばらくお待ちください。

以下、糸井重里さんのまえがきです。

 

「この本のなかにいるのは、あなたかもしれない。」

たいていの人は、すばらしく立派な人でもなく、つくづく悪いやつでもなく、

時にはおろおろ歩き、時には毅然とし、

「ふつうの誰かさん」として、好かれたり嫌われたりしながら生きています。

そういう「ふつうの誰かさん」としての人間が、

今回の大震災のような、とんでもない事実に直面したときに、

どういう気持ちになるのか、どういうことをし始めるのか、

想像することはできませんでした。

例外でなく、ぼく自身も、そうでした。

たぶんですが、被災地でみんなを助けながら命を失った人も、

がれきのなかから未来を見すえて立ち上がった人も、

そのときまでは、「ふつうの誰かさん」だったのだと思います。

 

「ふつうの誰かさん」は、頼りになるようでならなかったり、

頼れないと思ったら頼りになったり、なかなか憎めない困った人たちです。

(そう、あなたやぼくのようにね)

この本は、そういうぼくら「ほぼ日刊イトイ新聞」の人間たちが会ってきた

すてきな「ふつうの誰かさん」たちの話です。

それ以上でもなく、それ以下でもないのですが、

ぼくらは会えてよかったと思いますし、

きっと読むとうれしくなったりもします。

時には、ぴかぴかに輝いたりしますからね、「ふつうの誰かさん」って。

そして、「ふつうの誰かさん」に、ぜひ読んでほしいと考えています。

ぴかぴか光ってみえるのは、あなた自身かもしれませんよ、

と、言ってみたいのです。

すばらしく立派な人でもなく、つくづく悪いやつでもない

「ふつうの誰かさん」こと、「わたし」は、なかなか捨てたもんじゃない。

なんか、とてもいろいろできるみたいです。

と、そんなことを思いながら、顔を見合わせたいと、思っています。

 

「ふつうの誰かさん」、それぞれの場所で、

できることをしましょう。

                                糸井重里