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2011年9月 8日 更新
NHK東海村臨界事故取材班「朽ちていった命ー被爆治療83日間の記録ー」新潮文庫460円

20代の出版社さん(男性)に薦めてもらった一冊。

彼が大学4年のときに読んだという。

 

柳田邦男氏は解説の中でこう語る。

「私は大量の放射線が人間にもたらすものについて、わかったつもりになっていた。

そのわかったつもりを打ち砕かれたのが、本書によってだった。」

 

1999年9月、茨城県東海村で核燃料の加工作業中に起きた臨界事故。

大量の放射能を浴びた作業員大内さんを救うべく、

83日間にわたり前例のない治療を続ける医療スタッフ。

人知の及ばない放射線の恐ろしさを問うたドキュメントだ。

 

この本の元は、2001年に放送されたNHKスペシャル

「被爆治療83日間の記録~東海村臨界事故~」

これは内外の数々の賞を受賞した。

 

この番組に携わったNHKの岩本氏はあとがきで

「取材を重ねるなかで、この番組を最高のものにしたいと考えつづけました。

その気持ちの源泉となったのは、極秘とされている一枚の写真でした。

それは大内さんのご遺体が写っている写真でした。

体の正面の皮膚がすべてなくなって真っ赤になっているにもかかわらず、

背中側の半分は皮膚が残って真っ白で、

はっきりと境界ができていました。

これまでにまったく見たことのない遺体でした。

 放射線がDNAを破壊し、体を内側から溶かして行く怖さを感じました。

私は大内さんが、その怖さを多くの人に伝えてほしいと訴えていると思いました。

 訴えを伝えたい、ただその気持ちだけが、困難な取材の中で私を支えてくれました。

 この番組は私たちが作ったのではなく、大内さんが私たちに作らせてくれたのだと思っています。

この賞は、むしろ大内さん自身が受け取るべきものだと思います」

 

大内さんの解剖を担当した三澤医師が驚いたのは、

通常放射線の影響をもっとも受けにくいとされている筋肉の細胞が

繊維がほとんど失われ細胞膜しかのこっていなかったこと。

けれども、そのなかでたった一つ、心臓だけが筋肉細胞が鮮やかに赤く、きれいに残っていた。

心臓の筋肉だけは放射線に破壊されていなかったという。

 

三澤医師は二つのメッセージを大内さんから聞いた気がした。

一つは「生きつづけたい」ということ。

もうひとつは「放射線は目に見えない、匂いもない、普段、多くの人が危険だとは実感

していないということ。そういうもののために、自分はこんなになっちゃったよ、

なんでこんなに変わらなければならないの、若いのになぜ死んでいかなければならないの、

みんなに考えてほしいよ。」

そう訴えているとしか思えず、大内さんの遺体から聞き取った声を、

可能なかぎり社会に伝えなければならないと思ったそうだ。

 

大内さんの治療を担当した前川医師は、大内さん死亡時の記者会見の中でこう言った。

「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。

現場の人間として、いらだちを感じている。

責任ある立場の方々の猛省を促したい」

 

大内さんには奥さんと小学3年生の息子さんがいた。

彼は日ごろ自分の仕事は危なくないといっていたという。

こんなにも危険なものを扱っていたにもかかわらず。

 

「原子力安全神話という虚構のなかで、医療対策はかえりみられることなく、臨界事故が起きた。

国の法律にも、防災基本計画にも、医者の視点、すなわち『命の視点』が決定的に欠けていた」

『命の視点』・・・。

 

「みんなに考えて欲しいよ」

きっと声なき声の主たちは、なくしてしまったからこそわかるのだろう。

「『命』のこともっと考えてほしいよ」

そう言い続けているのかもしれない。

 

その声を聞きつづけて聞き続けて一つの形になったのが一本のドキュメント番組と一冊の本。

いまの私にできることのひとつは、声なき声を聞きつづけてできあがった一冊の本を、

本屋として読者にとどけることだ。