われわれの何気ない日常のなかでめぐり合いすれ違う親しい人、
ゆきずりの人のささやかなドラマを、
著者持前のさわやかな感性とほのぼのとしたユーモアで描き出した大人の読物。
(文芸春秋ホームページより)
『ポロリ』というエッセイでは、
四方八方に精一杯目配りして、利口ぶった口を利いていながら、
一瞬の気のゆるみかいってはならないことをポロリと言ってしまうのは、
私の悪い癖である。
とあってなんだかほっとする。
「向田さんもそうなんだ、へー」
というかんじで。
8月22日は向田邦子さんの命日。
飛行機事故で亡くなられてから30年が経つ。
私がまだ、高校生の頃か。
奥のレジで店番をしていると、向田さんが書籍の棚めがけてささっと降りてきた。
「あっ、向田さんだ・・・」
緊張する必要もないのにいらぬ緊張をする私。
なにせ、向田さんはあの『寺内貫太郎一家』の脚本家でしたから。
私は毎週この番組をどんなに楽しみにしていたことか。
「きょうは、寺内貫太郎一家の日だ!」
それだけでなんだかワクワクしたものだ。
その向田さんが、棚から本を一冊抜いてはレジに置く。
それを私が「つけ伝」と呼ばれているカーボンをしいた3枚複写の伝票に
本の題名と金額を書き写す。
その本は、お持ち帰りになったのか後から配達したのかも覚えていない。
「ありがとうございます」くらいは言っただろうか。
向田さんとは、もっとお目にかかっているはず、
でも、私はこのときのことしか覚えていない。
そのとき店に頼れる人がいなくて
「本のこととか聞かれたらどうしよう・・・、だれかあ・・・」
と思っていたからかもしれない。
でもこういうところ、30年以上経ったいまも変わらないような気がする。
本屋のくせに、本のこときかれたらどうしよう・・・。
なさけないものだ。