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2020年9月17日
山陽堂書店メールマガジン【2020年9月17日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年9月17日配信】

みなさま

こんにちは。

山陽堂書店のことを「おしゃべり本屋」と言い始めたのは、
ちょくちょくうちの店に寄るようになった高校・大学時代の同級生たちでした。
たしかに、山陽堂書店員はおしゃべり好きなようで。
レジ前でお客様や出版社の方などと山陽堂書店員とが話し込んでいる光景は日常茶飯時。
狭い店なので自分たちのおしゃべりが他のお客様のご迷惑にならないようにと申し合わせていますが、
状況が許すとおしゃべりはなかなか止まりません。
地下(事務所)から人が次々と湧いて出てきて、「いつの間にかおばさんに取り囲まれている」なんて事態もしばしば。
学生時代に同級生たちを連れ立ってお店に寄ったときに彼らもそんな光景を目にしていたのか、
あるいは彼ら自身もその光景の側に居ることに気づいたのか。
いつしか「おまえん家の本屋」から「おしゃべり本屋」と言われるようになりました。
そんなことを思い出して、最近再読した本がこちら。

「しゃべれども しゃべれども」佐藤多佳子・新潮文庫
2020.9.17.JPG
https://www.shinchosha.co.jp/book/123731/

大学生の時だったか一度読み、主人公が語る言葉の小気味好さがおもしろかった印象に残っていました。
そのとき感じたおもしろさはそのまま、約10年ぶりの今回は登場人物たちの個性にも魅かれました。

主人公の今昔亭三つ葉は真っ正直で頑固で短気な二ツ目の噺家(落語家)。
性格もあってか、ちょっとしたスランプに陥っています。
そんな折り、ひょんなことから「しゃべる」ことについて何かしらの問題に直面している4人に落語を教えることになり、
と、続けてあらすじを書いていこうと思ったのですが、
僕が語るよりも今昔亭三つ葉さん自身が本文のなかで語っている言葉の方がはるかに小気味好く(そりゃそうだ)、
「さん」付けしているくらいなので、もう生身の人間としてお会いしたことがあるくらいの気持ちでもあり、
ここで本の内容について説明するよりも、
みなさんもどうぞ三つ葉さんと落語を習うことになった4人の頑固さや、不器用さや、"不細工な美学"と、
それゆえの悩みや葛藤に思いを寄せながら(共感しないまでも)応援してやってください」という心持ちです。
まったく内容紹介になっていませんが、お許しください。

あらすじの代わりにといってはなんですが、印象に残った場面のひとつを。
登場人物のひとり 元プロ野球選手の湯河原が、テニススクールでコーチをすることに悩んでいる気弱な性格の綾丸(大学生)に、
選手としての綾丸がどれほどだったかを尋ねたあとの場面。

「君には殺気がないよ。綾丸くん。スポーツで勝つには殺気が必要なんだ。(後略)」
「そ、それは昔から言われていて...」
だから綾丸は早くからコーチを目指したのだ、そしてそれにも挫折したのだ、と続く部分を湯河原はもちろん知らなかった。(本文より)

僕は高校3年の夏に競技としてのサッカーから離れたのですが、
選手(競技者)としての自分自身を振り返り、圧倒的に足りなかったと思った部分はまさにそれでした。
競技者として重要な要素である闘争心(湯河原のいうところの"殺気")というものが、僕にはあまりありませんでした。
その後、大学生になり小学生・中学生にサッカーを教えるようになってから生じた悩みも、そのことによるものでした。
「競技者になれなかった(なりきれなかった)自分がサッカーを教えてもいいのだろうか?」
教えていたチーム(自分もOB)は競技志向だったので、
方針に即し、また自分自身もそうすべきだと考えていたので、
競技としてのサッカーを教えてはいましたが、
「でも、サッカーがすべてではないよ」という思いも言外で伝えていたように思います。
競技者たりえなかった自分だからそんな風に思ってしまうのではないか?
競技として向き合うこと以外を伝えてもよいものか?
チーム全体としてみたときにはダメかもしれないけれど、
子どもたちひとりひとりをみたときには、伝えてもよいといえる場面はたしかにあったようにも思います。
その立場を離れたいまもなお、ときどき考えてしまうことです。
紹介した本とは関係のないところでおしゃべりが過ぎました。

〈3階喫茶営業のお知らせ〉
SNSで営業日をお知らせしています。
twitter:@sanyodocoffee
instagram:sanyodocoffee
ご入店は閉店の30分前までにお願い致します。
状況により営業日時が変更となることもございますが予めご了承ください。
※変更の場合は当店HPにてお知らせ致します。
山陽堂書店HP:http://sanyodo-shoten.co.jp/

今日の追伸は、「おしゃべり本屋」です。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた来週のメールマガジンで。

山陽堂書店
萬納 嶺

追伸

よくしゃべる家族に囲まれて育ったためか、いつからか、特に家族の前ではあまり話さないようになった。
「この人たち本当によくしゃべるなぁ...」と、ひとつ距離をもってみている自分がいる。
おしゃべりな女系家族のなかで育った男子がそうなることは必然だったのかもしれない。
と思っていたのだけれど、そうではなかったということが最近になってわかったという話。

先日、手紙を書いていたときのこと。
葉書に文章をしたため宛名を書く段になったところで、切手を貼る余地がないことに気づいた。
よく見れば切手を貼れないだけではなく、相手の住所と名前を書くことさえもできない。
葉書いっぱいに書かれている文字を見て、
「なんてうるさいんだ...」と思い、もしや自分はおしゃべりなのかと自問した。
顧みると思い当たる出来事がいくつか浮かんだ。

訊きたいことがあって電話したものの、世間話をしているうちに質問事項を忘れてしまい、
「すいません」と謝って一度電話を切り、行動ごと遡って質問を思い出してから電話をかけ直したこと。
(これは結構みんなもやってると思う)
メールへの返信に近況報告や冗談を書き連ねた結果、肝心の要件について回答しそびれ、慌てて再度メールを送ったこと。
(ひと仕事終えたような心持ちで一つ目を送っているあたり、救いが少ない)
山陽堂珈琲では。
螺旋階段を降りていくお客様の姿を見送り「楽しい話を聞かせてもらったなぁ」と、
話した内容を反芻してからようやく、珈琲代をもらいそびれたことに気づいたり。(気づかないことまであったり...)
この事象は過去複数回起きており、どなたも後で支払いにきてくださったものの、
階段の上り下り含めお客様にも迷惑をかけ、商人として(というか社会人として)もこれはいかんと反省し、
いまこのような事象は起きていない(はず)。
それとは逆に。
馴染みのお店でのお会計時にする店員さんとのおしゃべりが高じた結果、
おつりか領収書か商品か、いずれかを忘れることが幾度も。
(一度だけそのすべてを忘れて店を出たときには、「おまえ、それはないだろう」と自分でも思った)

ざっと振り返っただけで出てくるこういった出来事から推し測るに
おそらくは、たぶん、自覚はなくとも、そして何より認めたくないものの、
「あぁ、自分はおしゃべりなんだな」と思い至った。
(目につくその他諸問題については、一度で受け止めきれないのでまたの機会に)
そんなことまで継承しているつもりはなかったけれど、
少なくとも僕が携わっている限りにおいては、図らずも「おしゃべり本屋」として続くことになった。

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