#
お知らせ
TOP > お知らせ
2017年1月31日 更新
昭和初期の山陽堂にまつわる物の展示1/27~2/10
昭和初期の山陽堂にまつわる物の展示1/27~2/10
008.jpg





山陽堂が現在の場所に移ったのは、昭和6年(1931)のことでした。

それまで、表参道を正面にみた明治神宮の突き当りに位置していました。

現在の場所に移転した頃のことを、

伯父(大正6年・1917生)が書き残しています。


昭和6年に山陽堂が今迄の表参道の正面の店舗から移転するようになったのは、

代々木の練兵場や原宿の皇族駅においでの天皇の行幸路として参道から乃木坂を通り

溜池に至る御幸通りの造成が決定した為でした。

丁度参道角の豆腐屋が廃業するので土地を売りたいとの話が有り、交渉の結果購入できました。

青山は高台なのに水脈が良く、豆腐屋では井戸から直接柄杓でくんでいたそうです。

勿論井戸を残す為工事は大変でしたが、地下室に設けました。

(中略)

昭和6年の春から親戚である深川の清水屋が施工して始まった建築も12月初めに完成し、

店と住居の引越しが始まりました。

家の造りは三面焦茶のタイル貼り、一階の戸は一種防火戸(鉄製で重い難が有りました)

ガラスは全て焼き鈍し済みの透明度の良い自慢の物で

戦災の時物凄い火の熱にも三階の一部にひびが出来ただけでしたし、

屋上の庇の瓦が一枚コンクリートに落ちたのに割れず別の建築屋が見に来ました。

一階は全部店、二三階は住居、屋上は三層防水構造で塔屋と高架水槽が有り、

地下室には倉庫、洋間、事務室、浄化槽が有りました。

新築開店にはお客様が沢山見えて店の人の居場所に困る程でした。

超満員になるのは神宮の祭り、大晦日と毎月何回かの善光寺の縁日でした。

青山通りは震災にも遭わず、古い家並みに青桐の並木が続き、

割合狭い道路に路面電車の走る落ち着いた街でした。



ただいま、2階のギャラリーでは、昭和6年の山陽堂設計図、書皮(しょひ・ブックカバー)、

建物屋上にはためいていた旗、山陽堂で働いていた人たちの印半纏(しるしばんてん)、

また、青山の資料などを展示しています。

80数年前の山陽堂にふれていただけたらうれしいです。

みなさまのお越しをお待ちしております。


*旗と書皮(しょひ・ブックカバー)に関するブログ
2011.2.20『大売出しの旗かと思った』http://sanyodo-shoten.co.jp/blog/2011/02/post-5.html
2011.2.21『最後のいちまい』http://sanyodo-shoten.co.jp/blog/2011/02/post-6.html