六郎さん33回忌の今日、2年越しで念願の六郎さんの銅版プレート設置。
きょう1月23日は、山陽堂壁画の画家谷内六郎さんの33回忌。
1.2.3と並んだ数字を足すと六郎さんの『六』になる日が命日。
六郎さんは、数字にご縁があるのでしょうか。
一昨年2011年9月天野祐吉作業室さんのご協力で
「谷内六郎『北風とぬり絵』展」を開催したとき、
天野さんがトークの中で、
「六郎さんをもっと世界の人たちにも知ってもらいたい。」
という内容のお話をされていたのが、
山陽堂のなかで、ずっと残っていました。
「どうしたら、外国の方にも知ってもらえるだろうか・・・・。」
「壁画の横に、六郎さんを紹介する日英で書かれたプレートを設置するのはどうだろう!」
一番初めに、お願いしたのがいつか忘れてしまいましたが、
天野祐吉さんに六郎さんのプロフィールを書いていただくことをお願いしました。
天野さんに書いていただいたすばらしいプロフィール。
翻訳をどなたにたのめばよいのか・・・。
悩んでいたところ、新潮社の寺島哲也さんがお店に立ち寄ってくれました。
プレート作成の経緯をお話して、翻訳をどうすればよいか困っていることを伝えたところ、
「ちょっと、この原稿貸してもらっていいですか。」
とさりげなくお持ちになりました。
その後、同じ新潮社の草生亜紀子さんをご紹介くださり、
翻訳をたのんでくださいました。
デザインは、山陽堂改装時にお世話になったトランクファイブデザインスタジオの沼谷健さんに
お願いしました。
プレートの大きさ、フォント、大変細かなところまで皆さまに確認していただきました。
コラムニスト天野祐吉さん、新潮社さん、六郎さんを大切にしている人たちの想いのおかげで
今日の日を迎えることができました。
現在開催中の「おかしくて、さびしくて。-1950年代の谷内六郎」とあわせて、天野祐吉さんをはじめとする皆さまのご協力で設置された谷内六郎さんのプロフィールをご覧ください。
『傘の穴は一番星』 谷内六郎作
谷内六郎 (画家・1921-81)
谷内六郎は、漫画家とか童画家といったちいさな枠を突き抜けて、日本人の「原風景」
を描きつづけた希有の画家である。彼の絵には、「昭和」という時代の波にもまれな
がらけんめいに生きた少年の目が、つねにいきいきと息づいている。少年の目が見て
いるのは、夢でもなければ幻想でもない。それはときにやさしく、ときに哀しく、
ときにおそろしく、かれをつつみこんでくるリアルな風景なのだ。甘い感傷とはいちばん
遠い世界が、そこにある。(コラムニスト 天野祐吉)