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2021年5月20日
山陽堂書店メールマガジン【2021年5月20日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
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sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2021年5月20日配信】

みなさま

こんにちは。
今日は今年これまでに読んだなかで特にお気に入りのこちらを。

『どうしようもないのに、好き』内田洋子・集英社文庫
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著者 内田洋子さんはイタリアでのニュースを日本に配信するジャーナリストなのですが、
2011年には『ジーノの家 イタリア10景』でエッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞を受賞するなど、名文家としても知られています。

本書の副題は「イタリア 15の恋愛物語」。
交友関係も広く、知人の子どもたちの〈保護者代理人〉となるほど現地でも信頼関係(人間関係)を築いている内田さんが、
長いイタリア生活の中で目にしてきた恋愛にまつわる15篇の人間模様が収められています。
描写される登場人物の体躯、身に纏う衣服、仕草、そして目の色からは、それぞれの"人の温度感"までも伝わり、
訪れた部屋や招かれた食卓での様子は各人の所作とともに描かれ、読んでいると自分までその場に居合わせているような気になります
その時の状況を緻密に描写し再現できるのはジャーナリスト故でしょうか。
収められたいくつかの話を少しだけ。

「腹ふくるる思い」
記者である友人の女性にはふたりの娘。
年子の姉妹は性格も身体つきも顔も似たところがない。

きれいなほうと、そうでないほう。

一番近くにいる人から、そう区別されていた。

10年ぶりに再会した"そうでないほう"の妹 オルガは、結婚をし、ふたりの子どもにも恵まれ、まるで別人のようになって幸せな生活を送っていた。
しかし、それから数年後に会ったオルガの様子はまた変わっていて...
「母や姉の言う通り、私は何をしても駄目なのよ」
そう語る彼女は、少し泣いていた。
(小さな時分から周囲にどうみなされてきたか。抑圧されてしまう彼女の生きづらさが伝わってきます。)

「目は口ほどに」
書物に造詣が深く国内外で高く評価されているという眼科医。
知人から紹介されたその医師の私邸に招かれた際に、客人たちや妻への振る舞いから見えてきたこと。
目の前にいる自分を見てくれてはいないという悲しみに、息子たちは耐えられず家を出た。妻は...
彼は誰の目も求めていないのか、それとも向き合うことができないのか。
(妻の振る舞いにまた虚しさが募ります。)

「海と姉妹」
美しい海があり、夏になると国内外からの観光客で賑わうサルデーニャ島。
島南部の漁村出身で、一代で財を成し、島一番の切れ者といわれているダヴィデ。
訪ねた自宅では妻リリに対し金切り声を上げ昼食の準備を促し、給仕はさせても客人とは同席させない。
庭での昼食が済むと、ダヴィデはさっさと家の中へ入ってしまった。
それを見送ってから、リリは内田さんに声をかける。
「こちらでコーヒーをいかがです?」
台所のテーブルでコーヒーを飲みながら語られるダヴィデとリリの馴れ初め。
その途中、リリの妹がやってきて席に着く。
続けて語られた、かつてあった島への工場誘致計画の話。
ある不幸を招くことになったその話を語るリリと、沈んだ顔の妹。
ダヴィデとリリ、そしてリリの妹。
「お姉さん、私は本当に何も覚えていないのよ」
(ふたりの姉妹の美しい姿が目に浮かび、なんともいえない切なさを覚えます。)

「赤い糸」
心震わせることがある度に手首にブレスレットを付け足す女子高生のバルバラ。
幼馴染のマウロとのやり取りを目にした内田さんは、16歳の始まったばかりの恋に気付く。
その年の夏の終わり、ベンチで待ち合わせをしたバルバラと内田さん。
彼女から聞くマウロと過ごした休暇中の話と、手首に一本だけ残された赤いブレスレットのこと。
(ふたりが並んで話をしている様子が目に浮かび、バルバラを愛おしく感じました。)

どの話にもいつの間にか引き込まれてしまいます。
意外な展開を迎える話も多く、最後の1ページに幾度も「なんと...」と思いました。

どうやってこんな話を聞き出し、書き上げられるののだろう?と思うのですが、
それは内田さんが相手(他者)と絶妙な距離感を築けることと、ジャーナリストとしてズバ抜けた洞察力があるからではないでしょうか。
義理堅く情に厚いこと、愛情深くそして情熱的な方だろうことは本文から伝わってきます。
ただそれだけではなく、どんな状況に置いても"なにか"を見逃さない冷静さや、本質的なものを捉える鋭さも感じられるのです。

今回、15篇の主な登場人物に共通して感じたのは、その人の影の部分、
普段は包み隠されていたり陽の光に紛れてしまっているような悲しみ(哀愁)でした。
本人さえも気づいていないかもしれない影こそが、その人の多くを語ってくれるのだと教えてもらった思いです。

ちなみに、内田さんの著書はフィクションだと勘違いされてしまうこともあるそうなのですが、あるインタビューでこう答えています。

「私は小説家ではありませんから、事実より胸を打つフィクションは書けないんです。
なるべく写真のキャプションを書くような気持ちで、丁寧に事実を伝えるようにしています」

実際に見聞きした事実が内田さんの言葉で丁寧(緻密)に伝えられると、そこに情緒が宿っているのを感じます。
だから物語・フィクションだと思ってしまう人がいるのかもしれません。
以前紹介した「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」もそうでしたが、とにかく心震わされます。
読後の余韻も僕にとってはまた格別で、つまり僕は、内田さんの文章に惚れているのだと思います。

昨年の4月頃より毎週木曜日に配信していた山陽堂書店メールマガジンですが、
次号よりGALLERY SANYODOでの展示情報や新商品のお知らせを中心に不定期で配信致します。

山陽堂書店
萬納 嶺
2021年5月13日
山陽堂書店メールマガジン【2021年5月13日配信】
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山陽堂書店メールマガジン【2021年5月13日配信】

みなさま


こんにちは。
本日5月13日発売の本を紹介します。

「晴れた日にかなしみの一つ」上原隆・双葉文庫
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「自分を道端にころがっている小石のようだと感じたとき、人はどうやって自分を支えるのか」
この問題意識を手にして、様々な人に話を聞いてみることにした。


そう語る上原さんは、これまで20年以上かけて200人以上の人と向き合い、話を聞き、文章を書いてきました。
そして、出会った人たちの話を短い文章でまとめるこの形を「ノンフィクション・コラム」としました。
今回刊行された本書には20の話が書かれています。

「声にならない悲鳴」
38歳のときに研究者になることを諦めて民間企業に就職した男性は、
自分なりに考えながら行っていることがうまくいかなかったり周囲に理解されないことに苦しんでいる。
男性はその思いを帰りの電車の中で1冊のノートに書き綴っており、上原さんは中を見せてもらいます。

ノートのページというページから江藤の叫び声がきこえてくる。
(中略)
多くの職場で、怒られてじっと黙って仕事をしている人がいる。
能力がないといわれて我慢している人がいる。
おそらく、同じ職場の優秀な人たちは、彼らの内面がどんなものなのかを知らない。

ノートに綴られた文字は読んでいてなかなかつらいのですが、
上原さんの言葉で言うところの「自分を支える杖」になる存在が男性には居ることに救われます。
別れ際、上原さんがかけた言葉に男性は一瞬びっくりした顔をし、それからニコッと笑います。

「婚活しても結婚できない」
上原さんの結論に「確かにそうかもしれないな...」と妙に納得。

「別れ話は公園で」
20代の男女の別れ話が彼女側の視点(心の声)で書かれています。
恋愛に器用とはいえなそうな彼女が心に思う言葉は、目に浮かんでくる無表情な顔の様子と相まって切なくなります。
"こういう苦さ"を思い出してしまいました。

「八年目のファックス」
新婚旅行から帰ってきた直後に27歳の若さで亡くなってしまった女性。
彼女の実家には命日になると毎年、彼女の職場の上司だった男性からファクスが届きます。
ふたりは30近く歳が離れていたものの互いにタメ口で話し、「あんなに仲良くなったのは彼女だけですね」というほどの仲でした。
上原さんは「どうして毎年」とその元上司に尋ねます。
八年目もまたファックスが届きます。

「ログハウス」
自殺してしまった父親が八ヶ岳の麓に土地を買って建てたログハウスに赴く男性。
上原さんはそこに同行し、男性から父親が自殺した経緯など聞きます。
命を絶つ直前に電話があったにも関わらず男性はその声を聞くことが叶いませんでした。
好きだからこそ父親の行為を少なからず肯定したいと考える男性の心のうち。


上原さんはあとがきのなかでこう書いています。
「困難なときに自分を支えるもの、それがどんなものであっても、その人を支えるならば、意味がある」
これがノンフィクション・コラムを書いてきた経験から得た教訓だ。

10代の頃からずっと表現することを仕事にしたいと思っていた上原さんは、
自分の表現というものがつかめないまま「四十代といういい歳になっていた」といいます。
そしてそんな自分を振り返った時に「痛いな」と思うともに、目をそらしてはいけないと考えたそうです。
それが冒頭の言葉に繋がります。
「自分を道端にころがっている小石のようだと感じたとき、人はどうやって自分を支えるのか」
この問題意識を手にして、様々な人に話を聞いてみることにした。

ほとんど誰しもが経験する"挫折"が出発点であり、書かれている話の数々にもそれが通じているように思います。
だからこそ、読んでいて登場人物と自分自身を(部分的にでも)重ねてしまうのかもしれません。
自分をころがっている小石だと感じたり、自分なんて居なくてもいいのではないかと思ったり。
ちょっとしたことや、何も起きていないときにさえ(何も起きていないからこそ?)、そんな瞬間は訪れます。
僕もこれまで何度も思うことがありましたし、これからもそう感じることはあるのだろうなと思います。
「なんか、虚しいな」と。
そんなときには上原隆さんの本を。
「まぁ、それでも歩いていくか」と思わせてくれます。

上原隆さんは山陽堂ブック倶楽部の運営にブックデザイナーの藤田知子さんと共に携わってくださっています。
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