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2020年8月27日
山陽堂書店メールマガジン【2020年8月27日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年8月27日配信】

みなさま

こんにちは。
以前、渋谷のユーロスペースに「渋谷らくご」を聴きにいったときのこと。
終演後、「渋谷らくご」キュレーターとして企画・構成・運営に携わる男性が舞台前に出てきて、
出演した演者さんと各演目の内容について解説をしてくれました。
その解説が丁寧且つとてもわかりやすく、いつもの落語会とはまた異なる感動を覚えました。
サンキュータツオという漫才師でもあり"学者芸人"でもあるその方の本がこの6月に刊行されたということで手に取りました。

「これやこの」サンキュータツオ(角川書店)
2020.8.27.1.JPG
https://www.kadokawa.co.jp/product/321907000688/
著者が経験した「別れ」にまつわる17編の随筆集です。
親類、アルバイト先のお客さん、同級生、学校の先生と、思い出される人は様々。
大人になってからの別れもあれば、幼少期の別れもあり、記憶をたどりながらその人のこと、その人とのことが綴られています。
いちばん初めの話では、2014年11月に「渋谷らくご」を始めた頃から出演してくれ、
病魔に侵されてからも最期まで高座に上がり続けてくれた柳家喜多八師匠と立川左談次師匠との日々が綴られています。
湿っぽい言葉や感情はおくびに出さない両者のやり取りは、お互いへの深い信頼関係によるもののように思いました。
「記憶を語り継ぐことだけが、師匠たちを死なせない唯一の方法だ」(本文より)
著者の思いが感じられる言葉です。
いまもなお「渋谷らくご」は師匠たちと共にあるのだと思いました。

〈今週のおすすめ本〉
「ある小さなズズメの記録」クレア・キップス著 / 梨木香歩訳(文春文庫)

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167902803

『山陽堂にすずめさんご来店』
お昼を食べた後の睡魔が襲う時間。
レジにいると足元の方で何かが動いた。
眠さのせいでボーとしてるのかと思いきやそれはたしかに動いていた。
いや、ちょこちょこ歩いていた。すずめだ。
人間の娘の扱いに手こずる私がすずめさん相手に「店内はご遠慮ください」とどう伝えたらいいのか。
すずめの動向を伺いながらの追っかけしかできず、時に狭い店内を空中飛行し、
そこが出口よの声かけに一度は店から出たものの再入店。
店内をさらに2周。こちらも少し気持ちに余裕ができて写真をパチリ。
自粛期間中だったのかちょっとぽっちゃり気味のすずめでした。
長い前置きになりましたがすずめで思い出したのが酒井駒子さんのイラストに魅せられて手にした本。
老ピアニストと傷を負ったすずめとの12年間の実録。
この本の著者のようにすずめと交流ができたならばお水の一杯でも差し上げたのに。
IMG_1068.JPG
(山陽堂書店 林美和子)

〈3階喫茶営業のお知らせ〉
現在座席数は4席です。
【9月の喫茶営業日】
・9月2日(水)13〜19時
・9月3日(木)13〜19時
・9月4日(金)13〜19時
・9月5日(土)11〜17時
・9月9日(水)13〜19時
・9月11日(金)13〜19時
・9月12日(土)11〜17時
・9月16日(水)13〜19時
・9月17日(木)13〜19時
・9月18日(金)13〜19時
・9月19日(土)11〜17時
・9月23日(水)13〜19時
・9月24日(木)13〜19時
・9月25日(金)13〜19時
・9月26日(土)11〜17時
ご入店は閉店の30分前までにお願い致します。
状況により営業日時が変更となることもございますが予めご了承ください。
※変更の場合は当店HPにてお知らせ致します。
山陽堂書店HP:https://sanyodo-shoten.co.jp/

3階で珈琲を淹れはじめた頃に比べるとカウンターに立つ日がずいぶん増えました。
当初は月に7日も営業していなかったような気がします。
今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。
本日の追伸は、「みどりのおばさん」です。
それではまた来週のメールマガジンで。

山陽堂書店
萬納 嶺


追伸

学校からの行き帰りにはいつも、黄色い生地に赤字で「学校」と書かれた旗を持って通学路に立ち、
僕たちの安全を見守る「みどりのおばさん」がいた。
ふたりいたみどりのおばさんはどちらも優しく、特にOさんは少し訛りのある口調と、眼鏡越しに伝わる優しい眼差しから僕らに人気があった。
僕の通学路は赤コースで、比較的安全な道だからかみどりのおばさんがその道に居ることはなかったものの、
学校から直接友達の家に遊びにいくとき(校則違反だったと思う)や学童館にいくときには、
みどりのおばさんのいる水色コースを通った。
学年が上がるにつれて水色コースの先にある友達の家にいくことが多くなり、
よく一緒にいる僕ら3人のことをOさんはそれぞれ「まんちっち」「しょうちっち」「こうちっち」と呼ぶようになった。
(いま思うとまるで旧ユーゴスラビア出身の3人組みたい)
母はOさんに「悪がき3人組ね」と、にこにこ話されたことがあるという。

小学校を卒業後、会うことのないまま15年近く経った頃。
同級生で集まった際にOさんの話になり、久しぶりに会いたいねという話になった。
幸いこうちっちのお母さんが電話番号を知っていて後日連絡がついた。
(その場のノリで済まさず実際に連絡をしたのは、みんな本当に会いたかったからだと思う)
しかし、こうちっちが連絡したところ「会うのは難しいの」とのことだった。
理由はよくわからないとのことで、こうちっちから教えてもらった番号に電話をしてみた。
Oさんは当時とあまり変わらぬ声で「あのまんちっち?」といい、元気にしている?と訊いた。
思っていたよりも明るいその声に、やっぱり会えるんじゃないかと思って尋ねると、
それはできないのという答えが返ってきた。
ごめんねとだけ言葉を継いだOさんはそれ以上なにも語らなかったので、会えないこと以外は何もわからなかった。
ただ、本当に残念そうなその様子から、もう何も尋ねてはいけないのだと思った。
Oさんは僕たちの声を聞けて嬉しかったよと、元気でいてねといった。

それから何年か経ち。
自転車に乗っていたときだった、ふとOさんのことを思い出した。
そしてそのときに、Oさんにはもう会えないのだということをはっきりと理解した。
いつかまた会えることがあるかもしれないと、たぶんどこかで思っていたけれど、そんなことはなくて。
さよならのことなんて、僕には何もわかっていなかった。

朝や放課後、通学路に立つみどりのおばさんやおじさんを目にすると、
「まんちっち」と呼ぶ人がひとりだけいたことを時々思い出す。

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