#
ブログ
TOP >ブログ
2020年8月27日
山陽堂書店メールマガジン【2020年8月27日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年8月27日配信】

みなさま

こんにちは。
以前、渋谷のユーロスペースに「渋谷らくご」を聴きにいったときのこと。
終演後、「渋谷らくご」キュレーターとして企画・構成・運営に携わる男性が舞台前に出てきて、
出演した演者さんと各演目の内容について解説をしてくれました。
その解説が丁寧且つとてもわかりやすく、いつもの落語会とはまた異なる感動を覚えました。
サンキュータツオという漫才師でもあり"学者芸人"でもあるその方の本がこの6月に刊行されたということで手に取りました。

「これやこの」サンキュータツオ(角川書店)
2020.8.27.1.JPG
https://www.kadokawa.co.jp/product/321907000688/
著者が経験した「別れ」にまつわる17編の随筆集です。
親類、アルバイト先のお客さん、同級生、学校の先生と、思い出される人は様々。
大人になってからの別れもあれば、幼少期の別れもあり、記憶をたどりながらその人のこと、その人とのことが綴られています。
いちばん初めの話では、2014年11月に「渋谷らくご」を始めた頃から出演してくれ、
病魔に侵されてからも最期まで高座に上がり続けてくれた柳家喜多八師匠と立川左談次師匠との日々が綴られています。
湿っぽい言葉や感情はおくびに出さない両者のやり取りは、お互いへの深い信頼関係によるもののように思いました。
「記憶を語り継ぐことだけが、師匠たちを死なせない唯一の方法だ」(本文より)
著者の思いが感じられる言葉です。
いまもなお「渋谷らくご」は師匠たちと共にあるのだと思いました。

〈今週のおすすめ本〉
「ある小さなズズメの記録」クレア・キップス著 / 梨木香歩訳(文春文庫)

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167902803

『山陽堂にすずめさんご来店』
お昼を食べた後の睡魔が襲う時間。
レジにいると足元の方で何かが動いた。
眠さのせいでボーとしてるのかと思いきやそれはたしかに動いていた。
いや、ちょこちょこ歩いていた。すずめだ。
人間の娘の扱いに手こずる私がすずめさん相手に「店内はご遠慮ください」とどう伝えたらいいのか。
すずめの動向を伺いながらの追っかけしかできず、時に狭い店内を空中飛行し、
そこが出口よの声かけに一度は店から出たものの再入店。
店内をさらに2周。こちらも少し気持ちに余裕ができて写真をパチリ。
自粛期間中だったのかちょっとぽっちゃり気味のすずめでした。
長い前置きになりましたがすずめで思い出したのが酒井駒子さんのイラストに魅せられて手にした本。
老ピアニストと傷を負ったすずめとの12年間の実録。
この本の著者のようにすずめと交流ができたならばお水の一杯でも差し上げたのに。
IMG_1068.JPG
(山陽堂書店 林美和子)

〈3階喫茶営業のお知らせ〉
現在座席数は4席です。
【9月の喫茶営業日】
・9月2日(水)13〜19時
・9月3日(木)13〜19時
・9月4日(金)13〜19時
・9月5日(土)11〜17時
・9月9日(水)13〜19時
・9月11日(金)13〜19時
・9月12日(土)11〜17時
・9月16日(水)13〜19時
・9月17日(木)13〜19時
・9月18日(金)13〜19時
・9月19日(土)11〜17時
・9月23日(水)13〜19時
・9月24日(木)13〜19時
・9月25日(金)13〜19時
・9月26日(土)11〜17時
ご入店は閉店の30分前までにお願い致します。
状況により営業日時が変更となることもございますが予めご了承ください。
※変更の場合は当店HPにてお知らせ致します。
山陽堂書店HP:http://sanyodo-shoten.co.jp/

3階で珈琲を淹れはじめた頃に比べるとカウンターに立つ日がずいぶん増えました。
当初は月に7日も営業していなかったような気がします。
今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。
本日の追伸は、「みどりのおばさん」です。
それではまた来週のメールマガジンで。

山陽堂書店
萬納 嶺


追伸

学校からの行き帰りにはいつも、黄色い生地に赤字で「学校」と書かれた旗を持って通学路に立ち、
僕たちの安全を見守る「みどりのおばさん」がいた。
ふたりいたみどりのおばさんはどちらも優しく、特にOさんは少し訛りのある口調と、眼鏡越しに伝わる優しい眼差しから僕らに人気があった。
僕の通学路は赤コースで、比較的安全な道だからかみどりのおばさんがその道に居ることはなかったものの、
学校から直接友達の家に遊びにいくとき(校則違反だったと思う)や学童館にいくときには、
みどりのおばさんのいる水色コースを通った。
学年が上がるにつれて水色コースの先にある友達の家にいくことが多くなり、
よく一緒にいる僕ら3人のことをOさんはそれぞれ「まんちっち」「しょうちっち」「こうちっち」と呼ぶようになった。
(いま思うとまるで旧ユーゴスラビア出身の3人組みたい)
母はOさんに「悪がき3人組ね」と、にこにこ話されたことがあるという。

小学校を卒業後、会うことのないまま15年近く経った頃。
同級生で集まった際にOさんの話になり、久しぶりに会いたいねという話になった。
幸いこうちっちのお母さんが電話番号を知っていて後日連絡がついた。
(その場のノリで済まさず実際に連絡をしたのは、みんな本当に会いたかったからだと思う)
しかし、こうちっちが連絡したところ「会うのは難しいの」とのことだった。
理由はよくわからないとのことで、こうちっちから教えてもらった番号に電話をしてみた。
Oさんは当時とあまり変わらぬ声で「あのまんちっち?」といい、元気にしている?と訊いた。
思っていたよりも明るいその声に、やっぱり会えるんじゃないかと思って尋ねると、
それはできないのという答えが返ってきた。
ごめんねとだけ言葉を継いだOさんはそれ以上なにも語らなかったので、会えないこと以外は何もわからなかった。
ただ、本当に残念そうなその様子から、もう何も尋ねてはいけないのだと思った。
Oさんは僕たちの声を聞けて嬉しかったよと、元気でいてねといった。

それから何年か経ち。
自転車に乗っていたときだった、ふとOさんのことを思い出した。
そしてそのときに、Oさんにはもう会えないのだということをはっきりと理解した。
いつかまた会えることがあるかもしれないと、たぶんどこかで思っていたけれど、そんなことはなくて。
さよならのことなんて、僕には何もわかっていなかった。

朝や放課後、通学路に立つみどりのおばさんやおじさんを目にすると、
「まんちっち」と呼ぶ人がひとりだけいたことを時々思い出す。

2020年8月20日
山陽堂書店メールマガジン【2020年8月20日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年8月20日配信】

みなさま

こんにちは。
暑い日が続いていますね。
僕は嬉しい限りですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
今週のこのメールマガジンを書いているいまは、水曜日の深夜0時。
僕の部屋の窓(正確には網戸)には蝉がとまり、大声で愛を叫んでいます。
適度に木の並ぶ小さな公園に部屋が隣接しているので夏は朝早くから夜遅くまで賑やかです。

さて、現在渋谷のBunkamuraさんでは毎夏恒例の『ドゥ マゴ パリ祭り』が開催されています。
今年は実際にお出かけできなくても楽しめるように『おうちでも!Bunkamura ドゥ マゴ パリ祭り 2020』ということで、
企画の1つとして渋谷界隈の書店が「フランスを楽しむ一冊」を紹介しています。
https://www.bunkamura.co.jp/sp/parisai2020/topics/3736.html
山陽堂書店が紹介させていただいたのがこちらの1冊。

「パリのおばあさんの物語」(千倉書房)
著 スージー・モルゲンステルヌ /  絵 セルジュ・ブロック / 訳 岸恵子

2020.8.20.1.JPG
https://www.chikura.co.jp/category/select/pid/819
おばあさんはもうずいぶんと歳を重ね、日々のひとつひとつが難しくなっています。
差し込んだ鍵がなかなか回ってくれないアパートの扉に、おばあさんは優しく接します。
「わたしの可愛い扉ちゃん、わたしを早くなかに入れてちょうだい」
本を読むこと、編み棒で編むこと、いろんなことに対する気力もわきません。
でも、おばあさんは思うのです。
「できることだけでもやっていくことだわ」
おばあさん、また若くなりたいとは思わないのだそうです。
移民としてパリにやってきた頃の戸惑い、婚約者との甘い時間、戦時中の深い悲しみ、そして取り戻した家族との幸せな生活。
うっかり忘れてしまうことも増えたおばあさんですが、いまに続くそういった日々のことをたくさん覚えています。
おばあさんは鏡をのぞいてつぶやきます。
「なんて美しいの」
心震わせるほどの喜びも、拭うことのできない悲しみも、辿ってきたその道のすべてを優しく見つめながら、
おばあさんは今日もゆっくりと歩きます。

数年前に初めて読んだその時よりも思うところがあるのは、
僕だけでなく、祖母も同じように少しだけ歳を重ねたからかもしれません。

先週読んだパリ本をもう一冊。
「パリのすてきなおじさん」文と絵 金井真紀 / 案内 広岡裕児(柏書房)
2020.8.20.2.JPG
http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b314183.html
作家・イラストレーター 金井氏と、フランス在住のフリージャーナリスト 広岡氏が、
どんな本を作りましょうかと話していてひらめいたのが「パリでおじさんを集めよう」というアイデア。
登場するパリのおじさんたちが語るのは、愛や仕事や人生のこと。
約束を取り付けて会ったおじさん、レストランで隣り合わせたおじさん、
難民センター前にいたおじさん、広岡さんが仕事でときどき出入りしているビルで"いい感じに働いている"おじさん。
2週間の取材期間中、ふたりはとにかく「パリのおじさん」を集めまくります。
ここまで多種多様なおじさんが集まったのはパリだから?
他者に対し「相容れなくとも受け容れる」という姿勢をパリのおじさんたちから感じました。
僕の知る限り、東京(日本)にもナイスなおじさんたちは多くいますが、
そう思うのは僕が既に"おじさん入り"しているからかもしれません。

〈今週のおすすめ〉
今回は装丁家(ブックデザイナー)折原カズヒロさんに、ご自身が立ち上げたブックレーベル Timeless Booksの本を紹介していただきます。
折原さんとは「神宮前サッカー会」という、ひたすらサッカーの話だけをする会でもご一緒させてもらっています。
Timeless Books HP:https://www.timelessbooks.info/

カワツナツコ スケッチ画集 Sketches 100 - PARIS scene through my eyes
2020.8.20.3.jpg

パリにどんなイメージを持っていますか?
花の都、パリジェンヌ、フランス料理、芸術の都...などでしょうか。まあとにかく「オシャレ」ですよね。
なぜかパリは憧れフィルターがかかるようで特に日本女性にそれが発揮されるようです。
本書の著者のカワツナツコさんも日本女性ですが、特段、パリに憧れてはいなかったようです。
あまりフィルターが効いていない珍しいタイプです。

これはイラストレーター・カワツナツコさんが初めてのパリ旅行でのスケッチ画を集めた本です。
カワツさんはふだん、カラフルなペーパーコラージュやイラストで活躍しています。
子供や動物など可愛いモチーフが多く、子供向けの絵本も作っています。
でも、パリ旅行から帰ってきた彼女がSNSに次々にアップしたのは、それとは全く別のモノクロのスケッチ画でした。
時には大胆に、時には繊細に描かれた絵に私はすっかり魅了され、「100枚描く」という言葉に、それなら本にしようと提案したのでした。

私はブックデデザインの仕事をしていて、仕事場の半分をギャラリーにしています。
これまでも時々オリジナルの本を作り展示・販売をしていて、このスケッチ画も本にしようと思ったのです。

カワツさんは3人の友人と旅行し、パリに住む知り合いに案内してもらったり、ディナーを共にしたり郊外に足を伸ばしたり。
観光スポットにも足を運びながら、初めてにもかかわらず日常のパリの姿も垣間見ている。
そんな雰囲気がよく表れた本になっています。余分な憧れがない分、かえってオシャレに見えます。
パリがオシャレなのか、カワツさんがオシャレなのか。
たぶん両方です。

この本には100枚の絵が収められています。
サイズは約15cm四方の正方形にしました。
糸綴の背中をそのまま見えるようにした製本(=コデックス装)の表紙に厚紙を貼り付け、小ぶりながら適度な重みのある本に仕立てています。

6月に行った展示会では様々な方々に手に取っていただきましたが、限られた時間のみの販売でした。
こうして山陽堂書店で扱っていただき、オシャレに敏感な青山で手にしてもらえる機会が得られとても嬉しいです。たぶん本も喜んでいると思います。
(Timeless Books 折原カズヒロ)

〈3階喫茶営業のお知らせ〉
現在座席数は4席です。

【8月中の喫茶営業日】
・8月19日(水)13〜19時
・8月20日(木)13〜19時
・8月21日(金)13〜19時
・8月22日(土)11〜17時
・8月26日(水)13〜19時
・8月27日(木)13〜19時
・8月28日(金)13〜19時
・8月29日(土)11〜17時
ご入店は閉店の30分前までにお願い致します。
状況により営業日時が変更となることもございますが予めご了承ください。
※変更の場合は当店HPにてお知らせ致します。

〈2階ギャラリーにて開催中〉
「山陽堂書店の絵展」
会期:2020年8月19日(水)よりしばらくの間
これまでご縁のあったイラストレーターや版画家の方々に描いていただいた「山陽堂書店」の作品を展示いたします。
オリジナルのポストカードやトートバッグも数量限定で販売いたします。
〈展示作家〉
木村かほる・口丸弘子・小林七郎・堺直子・庄野ナホコ・タダジュン・
谷内六郎・谷口智則・玉川重機・平澤一平・村尾亘・山﨑杉夫(敬称略)

今回はBunkamuraさんのパリ祭りに合わせて3冊紹介致しました。
欧州のサッカークラブ王者を決めるチャンピオンズリーグ決勝にパリSGが進出し、
地元 パリは盛り上がっているのではないでしょうか。
人としてはあまり好みませんが、エース ネイマール(ブラジル代表)がとにかくキレキレです。
今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。
本日の追伸は、「東京のおじさん、2020年夏。」です。
それではまた来週のメールマガジンで。

山陽堂書店
萬納 嶺


追伸

先日、当店50年来の常連であるKさんが再開後の喫茶に来てくれた。
「お、久しぶりにやってんだね」「4ヶ月くらい(喫茶は)休んでたんです」と言葉を交わすと、
Kさんは手前のカウンターに座り、珈琲豆を量る僕の手元をじっと見ながら「良い色してるねぇ」と感嘆するように言った。
僕が手を止めずに「自転車通勤とランニングです」と返すと、Kさんは視線を僕の顔に移した。
目を合わせて「それで焼けちゃったんです」と続けると、
Kさん「珈琲豆のことだよ」

数日後、バスを待っていると70歳くらいの男性が同じベンチの隣に腰掛けた。
男性は持っていた水をひと口飲むとゆっくりとこちらに話しかけた。
「お兄さんは、ずいぶんと日に焼けているけど、」
自転車通勤とランニングですと頭に用意しながら、続く言葉を待つ。
「外国の方ですか?」

一応、自身で考えている「ここまでは大丈夫」という日焼けの度合いというものがある。
それは「外国人だと思われない程度」なのだけれど、おじさん(おじいさん)に生じさせてしまった疑念により、
今年の日焼けは度が過ぎたのだと知ることとなった。
ちなみに、外国人と思われることに対して自身が気を悪くするということがあるわけではなく、
相手の「あ、日本の方でしたか...」という"申し訳なさそうな様子"にこちらも"申し訳なさを感じる"という状況をなるべく避けたいのである。
(といいつつ、外国人だと思われることを利用して時々いたずらをすることもある。)

今年は3月から日焼け止めを塗り始め、日焼けし過ぎないことへの意識は女子高生並みだと自負していたのだけれど...
「すいません、(ずっと)日本人です。よく外を走るのでこんなに焼けちゃいました。」
なんとなくこちら方向に顔を向けて話していた男性は視線を正面に滑らせ、
一拍ののち噛みしめるように「健康的な日焼けは、良いよねぇ」と口にした。
その声はとても細く、そして言葉はまるで僕のほうに向いてはいなかった。



2020年8月 7日
山陽堂書店メールマガジン【2020年8月7日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年8月7日配信】

みなさま

こんにちは。
今週は3日・5日・7日に渡り、噺家のみなさんからご寄稿いただいたものを配信致します。
本日は今年2月に前座から二ツ目に昇進しました三遊亭好二郎さんです。
3日に登場していただきました立川生志師匠と同じく福岡大学落語研究会の出身です。

公演情報:9月16日(水)19時開演「元気出せ!好二郎」江戸東京博物館小ホール
その他公演情報は下記HPよりご覧ください。
三遊亭好二郎さんHP:https://sanyutei-kojiro.com/

〈三遊亭好二郎さんプロフィール〉
image3.jpeg
平成2年(1990年) 3月7日生まれ
大分県玖珠郡九重町出身
福岡大学卒業後、営業マンを経て
2016年2月4日 三遊亭兼好に入門、前座名「じゃんけん」
2016年3月12日 両国寄席にて初高座「八九升」
2020年2月1日 二ツ目昇進

〈噺家になられた経緯〉

三遊亭好二郎でございます。

件のコロナウィルスが猛威を振るっている中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
かくいう私はというと、この原稿を書いている今、落語会のキャンセル・延期の連絡が鳴りやまない状況です。
ここまで仕事が無くなると自宅待機もやむを得ず、生活レベルを落として籠城戦ということになります。
ここしばらくお客様には「これで稽古の時間が増えましたね!噺を磨いてください!やったね!」と前向きなコメントをよく頂くのですが、
落語家というのは存外のんきなもので、本番が無くなると稽古する気も消えてしまいます笑
そりゃそうです。稽古だけやっても名人にはなれないのです。
シュミレーションゴルフだけやってる人がプロゴルファーにはなれますか?
だいたい私は今年の2月に厳しい前座修行を終えて、さぁこれからというタイミングでこんなことになってetc...などと家の中にいても悶々とするばかり。
スマホを見ればおそらく落語会中止の知らせであろう留守番電話がたまっております。
もうメールを開くのすらめんどうだな・・・と自堕落になっていた所に、山陽堂書店さんから本稿のお話を頂きました。
山陽堂書店さんでの落語会が延期になった代わりにと、
私がどんなコラムを書くかも知らないのにご依頼して下さった山陽堂書店さんの懐の深さと粋なお心遣いに感謝申し上げます。
本稿が皆様の暇つぶしになれば幸いです!

さて、"なぜ落語家になったのですか?"
これは噺家が打ち上げでお客様に聞かれる質問No.1でしょう。
(他によくある質問として、"お蕎麦のすすり方出来ますか?"、"普段は着物じゃないんですか?"、"兼好師匠のおかみさんってホントに怖いんですか?"など)
私の答えはというと、「いやぁなんとなく流されて・・・」です。
そう言うとお客様はたいてい「なーんだ。もうちょっとなんかないの?熱い思いとか、感動するエピソードがあるのかと思った」とガッカリした顔をなさいます。
皆様の期待を裏切るようですが、そんなものはありません!(笑)
この記事を最後まで読んでいただければ分かると思いますが、噺家というのはそんな熱い気持ちでやる商売ではないのです。
「オレは日本で一番の噺家になるんだ!!」的なタイプの前座さんはだいたい数年で辞めていきます(笑)
不安定ですし、稼ぎたいならもっと手っ取り早く稼げる仕事はあるし、有名になりたいなら今の世の中もっと楽に有名になれる方法があるはずです。

ではなぜ"なんとなく流されて落語家になったのか?"順を追って説明致します。
そもそも私は落語が好きだったわけではありません。ですが、昔からテレビっ子で、お笑いが大好きでした。笑うのも笑ってもらうのも好きです。
高校生の時にはお笑い好きな友人に影響されて、ダウンタウンさんの洗礼を受けました。
大分の田舎の高校生から見ると、テレビの世界で活躍するお笑い芸人さんがまぶしく見えました。
「よし、俺も大学に入ったら漫才・コントをやるぞ!」と決意したわけです。だって大学では面白い人がモテるって聞いたから。
ね?邪念しかないでしょ?

2008年に福岡大学に入学しまして、さっそく大学で唯一のお笑いサークルだった福岡大学落語研究会に入部しました。
プロの落語家になったOBでは桂梅団治師匠、立川生志師匠、漫才では博多華丸大吉さんがOBにいるとの触れ込みに惹かれて、
いざ入部してみると、漫才やコントを専門にやっている先輩はおらず、真剣に落語を研究する部でした・・・。
先輩方も全くモテそうにない地味な人ばかりで部室も汚いし、クサイし・・・「ああ、俺のキャンパスライフは終わった・・・」と思ったわけです。

しかしいざ落語をやってみるとこれが楽しい!なぜこんなに面白い世界を今まで知らなかったんだろう!
ウケた時は独り占め。失敗したら自分のせい。
何より、全部座布団の上で一人で出来て、シンプルな芸なのに奥が深い。落語のキャラクターも生き生きとしていて魅力的でした。
それからは一気に落語にのめり込みました。
後に師匠となる三遊亭兼好の落語に出会ったのも大学生の時です。
ネタは「看板の一」でした。スピード感があって、ポップでわかりやすい。
当時落研の資料棚にあった10~30年前カセットテープで落語を聞いていた私とっては衝撃でした。
ちなみに、2008年の当時、私の師匠は二ツ目で「三遊亭好二郎」と名乗っておりました。
まさかその名前を後に私が継ぐことになるとは思いもしませんでしたが、とにもかくにもその頃の師匠の落語に一目惚れし、「弟子入りするならこの人だな」と思っておりました。
実はこの時期に、落研OBである立川生志師匠の会のスタッフを何度かやっています。さらに、福岡のローカル番組が落研を取材しに来た時には、生志師匠と一緒に部室で大喜利もやりました(笑)
ですが、生志師匠に弟子入りするのはOBということあり、さすがに距離が近すぎるかなと思い断念しました。
噺家になって、生志師匠にはじめてご挨拶した際に「なぜ俺に弟子入りしないんだ。あの流れならフツー俺だろ」と言われましたがまったくその通りです(笑)
生志師匠にはその後、ネタの稽古をつけて頂いたり、落語会の前座として方々で使って頂きました。私の二ツ目昇進の披露興行にもゲストで出演して下さり、足を向けて寝られないほどお世話になっております。

大学4年生の時には学校のイベントで約600人の前で落語をやりました。
自分で言うのもなんですが、ほとんどが身内のお客様だったのでめちゃくちゃウケました。ホントです。(会場が揺れてました。)
600人の爆笑というのは大変に気持ちの良いもので、初めての感覚でした。
私は気が小さいくせにすぐに調子に乗るたちなようで、その途端に「あ、オレ落語家なろう」と思ったわけです。
(これが後に人生における笑いのピークになるとは知らずに)

その後すぐに両親に相談しましたが、何度話をしても「まずは3年働きなさい。それからでも遅くないはず。兼好師匠もサラリーマンを経験しているんだから。」と言われ、それならと福岡の地場の印刷会社へ入社します。ちなみに、印刷会社に入ったのは作家の中島らもさんの影響です。
親としては3年もすりゃ諦めるだろうと思っていたはずです。
案外私も「すぐに入門出来なかったのだから落語家の縁はなかったんだ。諦めよう」とあんなに好きだった落語を一切聞かなくなりました。
入社してみると仕事が面白くなり、あっさり2年が過ぎました。弟子入りのこともすっかり忘れて"サラリーマンも悪くないな"と思っていた矢先です。
新規の飛び込み営業で、日本最大の落語イベント、博多天神落語祭りを主催している会社へたまたま訪問しました。
チラシやパンフレットの受注も頂き、落語関係の仕事が増えてきました。数年ぶりに落語会にも足を運んでみました。
不思議なもので、あれだけ避けていた落語がふとまた目の前に現れると、ふつふつと落語家になりたい気持ちが高まってくるのです。

このままサラリーマンを続けるか噺家になるか・・・ずっと悩んでおりましたある日のことです!
突然私は、人生の運を前借りしたかのようなバカヅキに恵まれます。
営業をサボッて行ったパチンコで1か月勝ち続けてで50万円稼いだり、女の子にもなぜかモテたし、
福岡の天神コアの前を友達と歩いていたら空からクシャクシャの1万札が落ちてきたりetc...
こんなことあります?空から1万円札ですよ?
今ツイてないのも、この時の運の前借りがあったからじゃないのかと納得するほどのツキ方でした。
こうなると人間というのは単純なもので、「あれ?神様も俺が落語家になるのを応援してるんじゃね?」と調子に乗ってしまいます。
それからは紺屋高尾の久蔵よろしく、何をしていても、どんな小説や映画を観ても、見えない何かから"落語家になれ"と背中を押されているように感じてしまうわけです
今だから言えます。気のせいでした。
ここでやっと落語家になることを決心し、家族に再度相談するわけです。
両親からは半ば呆れ気味に「ホントに3年我慢しやがった・・・じゃあしょうがねぇか」と許可をもらったのですが、
私が3人兄弟の長男ということあり、祖父・祖母からは猛反対なんてものじゃなかったです。
祖父は怒り狂い、祖母は泣き叫び・・・これをなんとか説き伏せ、務めていた会社を4年で退社し入門志願するために九州を発ちます。

意気込みを見せるために師匠の家の近くに勝手に住んで、師匠に何度も直談判し、晴れて2016年2月4日に正式に三遊亭兼好に入門しました。
・・・と、長くなりましたが入門のいきさつは以上です。

これを一から十まで説明するのが面倒なので、毎回「いやぁ、なんとなく流されて・・・」と答えるわけです。
いかがでしょうか?"なんとなく流されて"いくような形で噺家になったことがお分かり頂けたかと思います。

コロナ禍で大変に苦しい落語業界ですが、落語を気軽に聞きに行ける世の中に1日でも早く戻れるように祈っております。

あーあ、そうこうしているうちに、スマホを見ると留守番電話が5件、メールが6件溜まっています・・・きっと中止か延期の連絡だろうなぁ。
・・・コラムの依頼だったらいいのになぁ(笑)

三遊亭好二郎

〈おすすめ本〉

「日本霊異記」伊藤比呂美訳
「今昔物語」福永武彦訳
「宇治拾遺物語」町田康訳
「発心集」伊藤比呂美訳
(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集08(河出書房新社)
 
誰でも一度は耳にしたことがある説話集「日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集」
教科書なんかで存在は知っているものの、全て読破したという方はそう多くないと思います。
古い、難しい、内容が固い・・・なんとなくそう思っていませんか?
そんな説話集のイメージをガラリと変えるのが本書です。
有名な「瘤取り爺さん」や「舌切り雀」、能「道成寺」の原話となった説話を伊藤比呂美さん、福永武彦さん、町田康さん以上3名の作家が非常にわかりやすく現代語訳にしています。
現代語に訳されたことで、当時の人々の日常や感性が蘇ってきます。これがまた現代人と変わらないのです(笑)
欲にまみれて生き生きと馬鹿をやっている様子を見ると、「なーんだ、昔も今も人間って変わんないんだ」と安心とします。

"説話"と聞くとありがたい教えがなんとなくイメージされそうですが、この本を読むと、当時の説話が、
むしろ"教え"を口実に人間のダメな部分を面白がることが目的なんじゃないか?とすら思えてくるのです。
まさに立川談志師匠のいう「業の肯定」とでも言いましょうか。バカで愛らしい人たちを生き生きと描く様は落語と共通しているように感じました。
中でも町田康さんの「宇治拾遺物語」はもはや超訳といっても良いでしょう。
独特の口語体で訳された文章は落語好きな方・読書初心者・古典の教科書が苦手な学生に特にオススメです。
どれぐらい超訳かというと、

原文「宇治拾遺物語 1-3 鬼に瘤を取られる事」では"この翁物の憑きたるけるにや、また然るべく神仏の思はせ給ひけるにや、「あはれ、走り出でて舞はばや」"となっているのが、町田康さんの手にかかると・・・

"お爺さんのなかでなにかが弾けた。お爺さんは心の底から思った。踊りたい。踊って踊って踊りまくりたい。そう。私はこれまでの生涯で一度も踊ったことがなかった。精神的にも肉体的にも。こんな瘤のある俺が踊るのを世間が許すわけがない、と思うまでもなく思っていて、自分のなかにある踊りを封印してきたのだ。けれども、もう自分に嘘をつくのは、自分の気持ちを誤魔化すのは嫌だ。私はずっと踊りたかったのだ。踊りたくて踊りたくてたまらなかったのだ。いまそれがやっとわかったんだ!"
・・・とこうなり、

原文「宇治拾遺物語 1-14 小藤太、聟におどされたる事」" これも今は昔、源大納言定房といひける人のもとに、小藤太といふ侍ありけり"
これが町田訳だと・・・

"これもけっこう前の話になってしまうが、源大納言定房という偉いさんのスタッフのなかに藤原小藤太という人がいた"

となってしまうわけです。・・・いかがでしょうか?"スタッフ"て(笑)
この文章だけでも興味を持った方は購入して損はないはずです。

あべこべに、町田康さんの文章が苦手・・・ちゃんと古典の空気を楽しみたいと思った方!
町田康さんの訳がかなり話題になった本巻ですが、全体の構成としても非常に良く出来ています。
①伊藤比呂美さんによって、わかりやすく砕けた調子で訳された色気たっぷりの「日本霊異記」
→②続く福永武彦さんによって、本来の古典に忠実な癖のない文章で訳された「今昔物語」
→③町田康さん超訳で表現された爆笑の「宇治拾遺物語」
→④トリで再び伊藤比呂美さんによるありがたい仏教説話「発心集」に立ち戻る。

これ、何かに似ていませんか?そうです!落語会の番組構成に非常に似てるんです!(笑)

①トップバッターが場を温めて落語を聞く空気にする
→②キッチリと古典落語をやる演者が本寸法の古典をやる
→③色物の芸人、ないし爆笑派の落語家が会場を沸かせる
→④トリの演者が大ネタや人情噺で会を締めくくる
という現代落語会のよくある流れにそっくり!!

3人の作家によるバトンリレーが完璧に出来た本書、ぜひとも手に取って下さい。
きっと古典文化に対するイメージが変わるはずです。

三遊亭好二郎


2020年8月 5日
山陽堂書店メールマガジン【2020年8月5日配信】春風亭昇羊さん
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年8月5日配信】

みなさま

こんにちは。
今週は3日・5日・7日に渡り、噺家のみなさんからご寄稿いただいたものを配信致します。
本日は春風亭昇羊さんです。
以前新宿末廣亭で出演された際、当時世間を賑わせた芸能人の不倫騒動についてマクラで話されていました。
(※「マクラ」とは演目の話に入る前に話される世間話や小噺)
おそらく多くの人が多少なりとも抱いた「あの記者会見」について思うところを、
昇羊さんがあんまり楽しそうに話すので、会場中が笑わされました。

〈春風亭昇羊さんプロフィール〉
image1 のコピー.jpeg
1991年 神奈川県出身
2012年 春風亭昇太に入門
2016年 二ツ目昇進

〈噺家になられた経緯〉
打ち上げの席などでお客様と話をさせていただくとき「どうして落語家になろうと思ったのですか」とよく聞かれます。
私は聞かれる度に「高校を出てなんとなくフラフラしてたときにたまたま落語を見て、
座布団に座ってなんでもできるなんてとても素晴らしい仕事だと思い、それで決めました」と答えるようにしています。
たまに「勘ですかね」の一言で済ませることもあります。
寧ろ、「勘ですかね」の方が私にとってはしっくりくる理由だったりします。
ただ「勘ですかね」と言うと、「俺の質問を蔑ろにされた。こいつの落語会には二度と足を運ばない」とか、
「社交性のないやつだ。だから友達が少ないんだ」と思われるおそれがあります。
また実際「え、勘?なんすかそれ?そんなんでよく噺家になれましたね」と言いたそうな目で見てくる人もいます。
なので私は「勘ですかね」とは極力言わないようにしておりますが、本当のところを申し上げますと、やはり勘なのです。
春風亭昇羊

〈おすすめ本〉
「くっすん大黒」町田康(文春文庫)
私は噺家になるまでの間、中野の北口にあるハンバーガー屋でアルバイトをしており、そのバイト先にヒラマツさんという先輩がおりました。
ヒラマツさんは画家を目指しており、あらゆる芸術に造詣が深く、本も沢山読む人でした。
そんなヒラマツさんと夜勤で一緒に働いていたある日、ホシノくん、この本知ってる?と差し出されたのが一冊の小説。
仕事中になんて自由なんだと思いながら、私が知りませんと答えると、滅茶苦茶面白いから読んだ方がいいよ、と言って貸してくれました。
うちに帰ってから早速読みますと、なんだか今まで読んできた小説とは違う感じでした。
言葉が自由というか、とても独特だな、と感じました。
そして気付くと私はひとりで小説を読みながら、ふふふと笑っておりました。
一気に読み終わると自分で買い直し、何度も読み返しては笑っておりました。
当時私は家賃4万円のアパートに住んでおり、その笑い声は隣の部屋にもはっきりと届いていたようで、とうとう隣の住人から「うるさいんですよ」と小言をくらいました。

それから10年経った今、私は自宅の本棚にあるくっすん大黒をたまに読み返しては、誰にも遠慮することなくひとりでふふふふと笑い、
その度に妻から怪訝そうな顔で見られ、それでも私は笑うのでした。
春風亭昇羊

2020年8月 4日
山陽堂書店メールマガジン【2020年8月3日配信】立川生志師匠
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年8月3日配信】

みなさま


こんにちは。
今週は3日・5日・7日に渡り、今春の山陽堂落語会(開催延期)にご出演予定でした噺家のみなさんにご登場いただき、
噺家になられたきっかけと、おすすめ本を紹介していただきます。
本日は立川生志師匠です。

〈立川生志師匠プロフィール〉
DSC_0284.jpg
(写真 橘蓮二)
1963年福岡県生まれ。
1988年立川談志に入門、立川笑志となる。
談志も認める陽気な高座は前座時代から「賞ハンター」の異名を持ち、
若手落語家の登竜門と言われる「NHK新人演芸大賞」「にっかん飛切落語会」の各賞を何度も受賞。
1997年二ツ目昇進。
2008年4月、入門20年目にして落語立川流真打に昇進。立川生志と名を改めた。

生志師匠には山陽堂書店の念願だった落語会に昨年ご出演いただきました。
今年6月より「立川生志チャンネル」も開設されましたのでこちらも是非ご覧ください。
立川生志チャンネル:https://www.youtube.com/watch?v=kI_UxOJ_vv0
公演情報:8月7日(金)横浜にぎわい座(http://nigiwaiza.yafjp.org/perform/archives/20479

〈噺家になられた経緯〉
落語家になるのは子どものころからの夢だった。
幼少期の記憶はほとんどないが、親戚の叔母さんたちからは「とてもおしゃべり好きな子どもだった」と言われた。
小学校に上がると人の前に出るのが恥ずかしくて、あまり目立つことはなかったが、
班などの小さなコミュニティで話すのは得意で、
「何か話してくれ」とわたしの周りに集まってきた友人たちに、
即興で口からデマカセの物語を作っては聞かせ、笑わせることに快感を覚えていた。
家では、ふたりの弟と川の字に敷いた布団にくるまりながら延々とくだらない話をしては笑い合い、
呆れた母親から「早く寝ろ!」といつも叱られていた。
それでも、ヒソヒソ声で話しては大声で笑うことを繰り返し、
最終的に母親の逆鱗に触れるという、まるでコントのような、馬鹿馬鹿しくも楽しい毎日を過ごした。

そうやってゲラゲラ笑って育ったわたしが小学5年生になったときのことだ。
クラスの父兄参観の発表会で、同級生の山内くんが『落語』を披露した。
ひとりで扇子を片手に正座して演じた『寿限無』は皆を爆笑させ、彼はその日の英雄になった。
それがわたしの体験した初めての生の落語である。
笑うことが大好きだったわたしは、
テレビの『大正テレビ寄席』、『お好み演芸会』、『お笑いネットワーク』などで落語の存在は知っていたが、
着物のお爺さんが地味に喋っている印象しかなくて興味が持てず、
そのかわり、『てんやわんや』、『Wけんじ』、『敏江・玲児』、『レツゴー三匹』、『球児・好児』、『セント・ルイス』などの漫才に憧れていた。
余談だが、わたしが前座のときに楽屋で、『Wけんじ』の宮城けんじ先生から「キミは若いのに上手いねえ」と褒めていただいたことや、
地方公演での移動のジャンボタクシーに『セント・ルイス』先生のお二方とご一緒させていただいたこと、
漫才ではないが、牧伸二先生、ケーシー高峰先生など子供のころのテレビのヒーローの方々とご一緒させていただけたことは、
わたしが落語家になってよかったと思えることのひとつである。

閑話休題、わたしは山内くんのおかげで『落語』に目覚めた。
志ん生師匠や文楽師匠ではなく、同級生の山内くん。
漫才は好きだけど相方がいないとできない...でも、『落語』ならひとりでやれるし、
今までお爺さんのものだと思い込んでいたが、これは意外と面白いかも!
小さなコミュニティで人を笑わせる快感を知ってしまった少年のわたしは、すぐに落語に飛びついた。
祖父が持っていたレコード(確か先代の小さん師匠)を聴いたり、図書館で借りた子ども向けの落語集を夢中で読んだりして、
6年生の父兄参観のときに、本で覚えた『子ほめ』を演った。こんなに面白いものがあるのだと皆に伝えずにはいられなかったのだ。受けた!!
恥ずかしがり屋だったはずなのに、これがクセになってしまった。

中学生になると、発表の場もないのにラジオで落語を覚え、角川文庫の古典落語集を買い揃え、
ニッポン放送の萩本欽一さんの番組『欽ドン』にハガキを投稿し、何度も採用されて賞金を手にした。
授業中は先生の話も聞かず、『母と子の会話』や『先生と生徒の会話』のネタを考えていたものだ。
笑わせること、笑ってもらえることが楽しくて、「こんなことを仕事にできたらいいな」と真剣に考えるようになり、
卒業文集の『将来なりたい職業』に「放送作家か落語家」と書いた。

高校に進学すると、福岡で落語公演があると足しげく通うようになった。
九州には定席がないので、落語を観るために寄席にふらっと出かけるというわけにはいかなかったのだ。
とりわけ桂枝雀師匠が大好きで、どれもが爆笑もので感動した。
『宿屋仇』、『鉄砲勇助』など知らない落語もたくさんあったし、
『代書屋』と『鷺とり』はレコードで夢中になって覚えた。
落語が、演者や演出によって全く違うものになるということに気づかせてくれたのも枝雀師匠だった。
公演会場で出待ちをして握手をしてもらったことは忘れられない。
友人から甲斐バンドだかチューリップだかのコンサートに誘われたが、
「その日は枝雀独演会があるから!」ときっぱり断ったところ、「誰それ?」とぽかんとされたこともあった。

高校3年生のときに『談志・円楽・小三治の会』にも行った。
トリの談志が「この三人揃っては、東京じゃ見られねぇぞ」と言っていたが、たしかに、本当に豪華な顔ぶれだった。
でも、のちに自分が談志の弟子になるなんて、このときには思いもよらず、
それどころか「談志だけは師匠には選ばない!」とさえ思っていたのだから、人生は面白い。

高校を卒業したらすぐに落語家になりたいという思いも多少はあったが、
九州の片田舎で育った高校生にとって、単身で都会へ出るのはとても勇気がいることだった。
「関東か関西の大学に進学すれば都会に行ける」とも考えたが、経済的事情でそれも叶わず、
かといって奨学金で進学できるほど賢くもなく、しかたなく地元の福岡大学に進学することにした。
胡散臭い落語研究会があることは知っていたので、そこで時間稼ぎの4年間を過ごそうと無い知恵を絞ったのだ。
それは楽しい学生生活だった。落語家ごっこをやりながらアルバイトと恋愛におぼれる毎日に満足してしまい、
プロの落語家になるという固い決意が鈍った。
あっという間に3年の歳月が流れ、現実逃避の時間も終わりが近づいてきた。
つき合っていた彼女から「一部上場の会社に就職して!」と言われると、
「プロの落語家になるなんて甘いよな」と自分に言い訳して、普通に就職活動を始めることにした。
一部上場企業に片っ端から挑戦したが、一次面接と二次面接を突破しても成績表を出すと必ず玉砕。
何せ学科でビリから2番目の成績で、わたしの下の奴らは留年なのだ。
それでもなんとか誰もが知る企業に採用してもらえた。
福岡大学から初めて採用された学生になってしまったようで、
就職課の職員は驚いて目を丸くしていたし、落研の失礼な後輩からは「縁故入社ですか?」と言われる始末。
でも、親や恋人は喜んでくれた。
いい会社に就職し、結婚して家庭を築き、定年まで勤めるという、一般的な幸せの第一歩を踏み出したのだから。
賃金、福利厚生、人間関係、サラリーマンにとって文句のない環境だった。
ただ、何か違うというか、もの足りないというか、モヤモヤした気持ちで会社員生活を送っていた。

会社員になって1年が過ぎたころ、学生時代からつき合っていた恋人にふられた。
失恋は悲しかったが、しばらく封印していた、落語家になる夢を実現させられるかもしれないという喜びの方が大きかった。
もう自分の好きなように生きられるのだ。好きなことを仕事にしよう。
挑戦しないで後悔するより、挑戦して仮に失敗したとしてもきっと後悔はしないだろう。
そうだ!落語家になろう!そう決心し、丸2年お世話になった会社を円満退社した。
退路を断つことで反対する両親を説得し、談志に入門した。

改めて、「なぜ落語家になったのか」と問われれば、「夢を諦められなかったから」という答えになる。
少し遠回りはしたが、今まで経験したことは何ひとつ無駄ではなかった。
なぜなら、落語は人間の機微を描くもので、演者の心の引き出しは多い方がいいと考えるから。
ひとつの夢は叶ったが、叶ったが故にまた新しい夢ができ、そのつながりで31年の落語家人生を歩んできた気がする。
長男のわがままを許してくれた両親と弟たちにも感謝している。

そしてまだまだ夢は続くのだ。まず今の一番の夢は、山陽堂書店さんでの二度目の独演会だ。

立川生志

〈おすすめ本〉
わたしは読書家ではありませんが、小学3年生のときに初めて自分の意思で買った本が
『小学館入門百科シリーズ 野球入門 攻撃編』(監修/長嶋茂雄・王貞治)でした。
本のとおり、コンクリートの壁にストライクゾーンを書いて素振りしたのを覚えています。
我ながら馬鹿な子供です。
でも、馬鹿ゆえの真面目なところもあって、
小学校で強制的に書かされる読書感想文コンクールのために図書館で本を借りることがありました。
何を借りて読んだかは馬鹿なので忘れてしまいましたが、何度か賞をもらうことができました。
賞をもらえば親は喜ぶし、友達にも羨望されるので、図書館に行くのはまんざらでもなかったです。
おかげでそこに『落語』の本があることも知りました。

そんなわたしが夢中になって読んだ作家が星新一さんです。
中学1年のときに友達に貸してもらったのがきっかけでした。
『野球入門』以来、自分の小遣いで買った本は『ほら男爵 現代の冒険』。
少年チャンピオンも毎週買っていたので、少ないお小遣いを工面して星新一さんの文庫本を一冊ずつ増やしていきました。
落語にハマり始めた当時のわたしには、星新一さんのショートショートがぴたりとリンクしたのでしょう。

今回、30数年ぶりに読み返してみようと『ボッコちゃん』を購入しました。
昭和46年5月の初版から数えて、令和元年11月でなんと116刷!いまだに多くの人たちに読まれ続けている証です。
わたしが初めて買ったのが昭和50年ころだから、実家にある『ボッコちゃん』は何刷なのかな?
本って、こんな楽しみ方もできるんですね。
さて、読み返してみて感じたことは今更ながら星新一という作家さんの凄さでした。
初期の作品集なので、昭和30年代後半から40年代初めころに書かれたものでしょうが、
文章を読むことが苦手なわたしでもどんどん読み進むことができる一見平易な文章は、
実は無駄のない文学的描写と上品な会話文で構成されていて、
既に星新一の文体が確立されていたことに改めて驚かずにはいられませんでした。
子供のころには気がつかなかった、その文章の巧みさと気品、テーマの深さ、
その作品は今も色褪せることなく新鮮で、
中には現代社会の様々な問題を予見しているものがいくつもあります。
中学生のわたしはアイデアばかりに関心があって、また感動してしまいましたが、
その洞察力や想像力そして知性は、
わたしが100回生まれ変わっても到底身につけられるものではないとわかりました。
わたしは馬鹿だから頭のいい人に憧れます。
気づいてはいなかったけれど、何か勘のようなもので、
作品だけでなく星新一さんに昔から憧れていたのかもしれません。
自薦50編からなるこのショートショート集、再読ではありますが、
オチを考えながら読み進めました。それも楽しかったー!中でも『親善キッス』はずっと忘れられない作品で、
今でもネタを考えるときの参考にさせてもらっています。筒井康隆さんの解説もお得な気がします。
未読の方は是非読んでみてください。もちろん再読もよし!
お買い求めはもちろん山陽堂書店さんで。なぁんて、『冬きたりなば』のエヌ博士ではありませんが...。

立川生志
最近の記事
アーカイブ
カレンダー
2020年9月
    1 2
3
4 5
6 7
8
9
10
11 12
13 14 15 16
17
18 19
20 21 22 23
24
25 26
27 28 29 30