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2020年7月 9日
山陽堂書店メールマガジン【2020年7月9日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年7月9日配信】


みなさま

こんにちは。
天気予報がなかなかあてにならない日々を、
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

先日、愛聴している(といっても2ヶ月前から)ラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」(通称 ニチテン)の番組終盤で、
安住アナが読みあげた女性リスナーからの投稿はこういった内容でした。

施設に入所するその女性の祖母はもうすぐ109歳。
数年前から少しずつものを忘れることが増えてきたある日。
「どちら様?」と、孫であるその女性のことも認識することができなくなってしまいました。
女性は悩みながら、孫としての自分を忘れられてしまっても会いに行き続けることにしました。
しかし、その後も状況が良くなることはなく、祖母は一緒に暮らしていた時代のことも忘れていってしまいます。
祖母に最後に残った記憶は、幼かった時分に過ごした故郷の記憶でした。
女性はそれを好機とみて「故郷から来た親戚の人」になることにしました。
「また会いに来てくれたんだね」と言ってくれるようになった祖母。
孫ではなくなったけれど祖母の友人になれた女性。
「また忘れられてしまっても、再び友人としての関係を築き直せばいいのです」と女性の投稿は締めくくられました。

同じような経験をされたという安住アナが話される様子もまた印象に残りました。
この日の番組投稿テーマは「最近嬉しかったこと」でした。

「とんでいった ふうせんは」ジェシー・オリベロス 文 / ダナ・ウルエコッテ 絵 / 落合恵子 訳(絵本塾出版)
2020.07.09.1.JPG
みんなそれぞれに持っている「おもいで」がつまっている「ふうせん」。
ながくいきているおじいちゃんはたくさんのふうせんをもっています。
でも さいきん おじいちゃんのふうせんが おじいちゃんのてをはなれてとんでいってしまう。
とうとうぼくたちふたりのおもいでのふうせんまでとばしてしまったおじいちゃん...
「ぼくたちの ふうせんなのに!なんで?」
かなしんでいた ぼくだったけれど...
忘れられ、その手から離れていった大切なもののひとつひとつも、ぼくたちのなかに残されている。
いつかそのことに気づくのだと思います。

〈おすすめ本〉
「黒い森」折原一(祥伝社文庫)657円+税
2020.7.9.2.JPG
「ママ、いっしょに本読もう。」
ここ数日、高校生の娘から寝る前にお誘いが来る。 
お風呂に入るときにも手放さなかったスマホが文庫本に変わっている。
自粛期間中一冊も本を読んでいなかったのに学校が始まり、いつものペースが徐々に戻り、
「さあ、本でも読もうかな」とホコリをかぶった本を読み始めた。
本を読む私の横で「ドキドキする!」と言いながら袋とじを破る娘。
そう、この文庫本は表からでも裏からでも読んでよし。
ただし袋とじは両方を読んでから封を開けること。
「きゃー、うそ!そうきたか。」
そんな声を横に私の読書タイムも破られたが袋とじをテープで貼って私も読んでみたくなった。
(山陽堂書店 林)


今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。

本日の追伸は、「中国でwada!」です。

それではまた来週のメールマガジンで。

山陽堂書店

萬納 嶺


追伸


中国の北京に滞在していたときのこと。
大きな歩道橋の上から見える人工芝のグランドでサッカーをしている人たちの姿が目に入った。
しばらく眺めてみた限り、なかなか上手い人もいる。
歩道橋の名前と大きく掲示されている「东単体育中心」(訳すと「東単スポーツセンター」だろうか)を紙にメモしてその日は宿に戻り、
後日そのグランドに出直した。

(たしか)入り口でいくらかを支払ってなかに入ると、
4面くらい分けられた人工芝のグランドで多くの人がサッカーをしていた。
そのうちの、「成年たち且つ飛び入りでも参加できそうなところ」に見当をつけて声をかけた。
自分も入れて欲しい旨を伝えると、「日本人(リーベン)か?」と、40歳くらいの体つきのいいおじさんに尋ねられた。
「そうです」と伝えると、「ふんっ」といった態度でそっぽを向かれてしまった。
「ダメなんですか?」と周囲にいた他の人たちに尋ねると、
英語を話す人たちがいて「大丈夫、入りな」と言ってくれた。
そっぽを向いたおじさんも「お前ら(みんな)がいいなら別に好きにしな」というふうだった。
(あくまでおじさんの雰囲気と表情からの推測ではあるけれど)

ちなみに、その時はちょうど中国国内での反日運動が盛んに報じられていた2012年の夏ごろ。
それでもまちなかで日本人だと知られて嫌な思いや怖い思いをしたことはなかった。
饅頭の行列に並んでいるときなどは、僕が少ししか買わないと知ったおばちゃんが
「この子に先に買わせてやって!」みたいなことを前方の人たちに言ってくれ、
さすがに恐縮してしまったけれど、10人抜きで購入させてくれるようなこともあった。
(おばさんたちはみんな10個単位で袋いっぱいに買っていた)

おじさんの態度には面食らってしまったものの、
こちらがある程度ちゃんと動けることがわかるとみんな何となく受け容れてくれたようで、
プレーの中でそれを感じられるようになってからはより一層楽しむことができた。
しばらくサッカーをしていると、ある状況において使われる馴染みある音の単語が耳に入ってくるようになった。
シュートミスをしたときだったか、パスをミスしてしまったときだったか。
彼らを真似て「あぁ! wada!」と言って味方のひとりに謝った。
すると一瞬(本当に一瞬)、敵味方に関係なくたくさんの視線がこちらに向けられた。
その試合が終わり、給水休憩になったタイミングで英語を話すひとりが声をかけてきた
「お前、wadaって言ってたな。中国語分かるのか?」
「わからないけど、自分のミスってことでしょ?みんなミスするとwada!wada!って言うから」
「そう、my mistakeってことだ」
彼は笑ってそう言った。

ずいぶんあとになって知ったことだけれど、僕が聞いて真似た「wada」は漢字で「我的」(発音記号だと Wǒ de)と書き、
正確な意味としては「my」のみ。
試合中は「我的」に「my mistake(自分のミス)」まで意味をもたせて使っていたのだった。

北京滞在中、数度この东単体育中心を訪れてはサッカーを楽しんだ。
何度か顔を合わせるうちに、帰り道が同じ方向の人が自転車の後部に乗せてくれ、宿近くまで送ってくれたりもした。
「东単体育中心」でのサッカーは、旅行中の出来事の中でも特別楽しかったことのひとつとして記憶されている。
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