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2020年7月22日
山陽堂書店メールマガジン【2020年7月22日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年7月22日配信】

みなさま

こんにちは。
お元気でしょうか。

2020年(令和2年)の今年から、10月の第2月曜日に制定されていた「体育の日」が7月の第3月曜日に改められ、
名称も「スポーツの日」に変更されました。
※2020年に限りオリンピック開会式と合わせて7月24日(金)になったとのこと。
祝日だけに限らず、団体・大会の名称が「体育」から「スポーツ」へと変更されることに、
「カタカナ好きな、あの感じ?」と斜に構えていたのですが、そうではないようで。
「スポーツ」という言葉が使われる、その方が良い理由があるように思いました。
『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』玉木正之著(春陽堂書店)
2020.7.22.1.JPG
まえがきに、スポーツは「文化」であり「体育」とは本質的に異なることが書かれています。
そこから本のタイトルにある通り「スポーツとは何か?」という問いが投げかけられ、
スポーツが民主主義社会からしか生まれないことや各競技のルールも含めての成り立ち、
ドーピング問題、オリンピックなどなど、話が広がっていきます。
個人的に気になっていた「eスポーツはスポーツなのか?」という疑問に対しては、
スポーツ(SPORTS)の語源がラテン語のデポルターレ(DEPORTARE)で、
原義が「日常的な生活(労働や仕事)から離れた非日常の時空間」を意味することを踏まえるとスポーツといえるものの、
やはりスポーツとはいえないのではないかとする筆者の理論的・感覚的根拠が示されます。
「身体を通じたコミュニケーション」がスポーツの大事な要素のひとつなのではないかと頷きました。

これまで親しんできたスポーツというものの認識を半分くらい改めることにもなりましたが、
その内容に納得できたのは学生時代に所属した各サッカークラブが"スポーツ"的な指導をしてくれたからかもしれません。
"体育"的な指導も必要だと思っていますが、その比重が大きくあるべきではないというのが僕の考えです。

補足情報として。
本のなかで紹介されている市川崑監督の映画「東京オリンピック」が良かったです。
1964年の東京オリンピックの公式記録として撮られた映画のなかのオリンピックが、
僕の目には「最高峰の運動会」に映りました。
当時の選手の体つきは、いま僕らが目にしている現役の選手とは違い、親近感を覚えるというか。
東洋の魔女も「町の1丁目から6丁目の運動神経の良い女性を集めました!」という雰囲気。
(偉業を成したことへの敬意は込めたうえで言っております。)
記録やパフォーマンスが向上したいまのアスリートと比べてどちらが良いのか、
比べることでもないように思いますが、もうあの頃のオリンピックではなくなってしまったことは確かなことのようです。
2時間50分と長いので、ご覧になる方はだらりと観ることをおすすめします。


3階喫茶営業のお知らせ〉

座席数を4席です。

手洗いのご協力やお手拭きの提供は控えるなど、

ご不便おかけいたしますが、ご理解いただきますようどうぞよろしくお願いいたします。

 

7月後半 喫茶営業日】

722日(水)1319

725日(土)1117

729日(水)1319

730日(木)1319

731日(金)1319

81日(土)1117

 

ご入店は閉店の30分前までにお願い致します。

状況により営業日時が変更となることもございますが予めご了承ください。

※変更の場合は当店HPにてお知らせ致します。

山陽堂書店HPhttp://sanyodo-shoten.co.jp/

 

今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。

本日の追伸は、「渋谷区陸上記録会」です。

良い連休をお過ごしください。

それでは、また来週のメールマガジンで。

山陽堂書店

萬納 嶺

追伸


いまはどうなのかわからないけれど。
渋谷区の公立小学校に通っていた僕たちは6年生になると区内の全小学校が集う陸上記録会で国立競技場を走ることができた。
(国立競技場のある新宿区の小学生もそうかもしれない)
生徒全員が何かしらの種目に出場することができ、僕は走り高跳びとリレーに出場することになった。
(ちなみに、中学でも同様の陸上記録会があるが、こちらは選抜された者だけが出場し、他の生徒はみなスタンドで応援するのみ。
中学生になって身体能力が秀でている方ではなくなったので、僕は同級生や同校の先輩・後輩の活躍を中学3年間眺めるだけだった。)

専門で取り組んでいるわけでもない小学生の走り高跳びなので背面跳びではなく、
跳躍は左右の足を交互に思いきり振り上げてバーを越えるはさみ飛び。
腹の面を下にして体を回転させて越えるベリーロールでもなかった
身長が大きくものをいう勝負で優勝したのは、案の定170cmはあろうかという大きい小学生だった。
パッとしない順位で走り高跳びを終えると、気持ちは陸上記録会最後に行われるリレーに向いた。

リレーでは各校から選抜された4人がトラックを1周して順位を競う。
我が校メンバー4人のうち、僕を含む3人は普段から一緒にいることが多かった。
3人の仲を象徴する行為として「肩を組んで歩く」というものがあった。
これは文字通りで、校内の廊下や校庭、学校の帰り道、一緒に行った旅行先など、とにかくどこでも僕らは3人で肩を組んで歩いていた。
それは通行の妨げになっていたはずだし、自分たちにとっても移動はさぞ不便だったのではないかと思う。
互いに何を確かめ合うためにそのようにしていたのか、肩を組まなくなって久しい今となっては見当もつかないが、とにかくそういう仲だった。
話が逸れてしまった。
この3人と、6年生になってから急に足が速くなったK君が、校内で計ったタイムを基準に選ばれた4人だった。
バトン受け渡しの練習を重ね、指導を担当する先生により走る順番が決められ、僕は最後にバトンを託されることになった。

昼食が済むと、各校のリレーに出場する生徒が集められ、第1走者から順に陸上トラックを移動して位置についた。
僕が走るのはメインスタンド側の直線100メートル。

レースが始まった。
僕らの第1走者の快走が遠くからも見えた。
バトンが渡されるタイミングで1位だとわかる。
第1走者から第2走者へ。
リードは守られている。
第2走者から第3走者へ。
練習から僕らのバトンの受け渡しはうまくやれていた。
この日もうまくいっている。
第3走者から僕へ。
誰にも抜かれずにきていた。
彼が迫ってくるのに合わせて走り出す。
後ろに伸ばした手に触れたバトンを握る。
100メートル。

僕たちは3位だった。
僕はそのままクラスメイトの居るスタンドに戻ることができず、3人に謝ってからトイレに向かった。
1番早く届けてくれたバトンだったのに。
僕まではすべてうまくいっていたのに。

トイレから出ると、そこに3人がいた。

2位だったのか3位だったのかが思い出せず、この追伸を書くために3人に連絡をした。
ひとりは「実家に帰る用があるから卒業文集を見てみるよ」といい、
ひとりは「3位だった気がする。(萬納を)かなり励ました記憶がある」といった。
もうひとりからは「え、全然覚えてない」と返ってきた。
家に帰ってから探してみると、文集はすぐに見つかった。
「全然覚えてない」と言った彼のページを開いてみる。
「リレーの練習では、ぼくはバトンパスが下手で一番手にまわされた」と書いていて、
20年後にまるで覚えていない人の言葉らしいなと笑ってしまった
自分でも書いていたことをすっかり忘れていたけれど、僕もこの日のリレーのことをそれは悔しそうに書いていて、
他ふたりもまたリレーのことを書いていた。
励ましたことを覚えていた彼は、閉会式のときには僕が元気を取り戻していた、なんてことまで書いている。
元気だった記憶はまったくないけれど、そうだったというならば、それはまぁ君たちのおかげである。
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