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2020年7月 2日
山陽堂書店メールマガジン【2020年7月2日配信】
山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
sanyodo1891@gmail.com(担当 マンノウ)までご連絡ください。

山陽堂書店メールマガジン【2020年7月2日配信】


みなさま

 

こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか。

さて、3月末から山陽堂書店2階ギャラリー(GALLERY SANYODO)はしばらく休廊しておりましたが、

来週77日(火)より「安西水丸 七夕の夜⑩ 和田誠さんとの作品」を開催致します。

 

「安西水丸 七夕の夜⑩ 和田誠さんとの作品」

和田誠さんとの共作を中心に展示致します。

会期:77日(火)〜718日(土) 日・祝休

開廊時間:1117

期間中は土曜日も営業致します。

七夕の夜⑩2020.7.jpg

 

毎夏の展示「七夕の夜」10回目となる今回は、安西水丸さんが当ギャラリーで展示をしてくださるきっかけをつくってくださった、

新潮社 編集者である寺島哲也さんに言葉を寄せていただきました。

 

"安西水丸 「七夕の夜」10回に寄せて 

新潮社 寺島哲也(編集者)

 

 誰の人生にも、忘れられない光景がある。 

 僕にとって、安西水丸さんと表参道の山陽堂書店を訪ねた2011年の冬の午後は、間違いなくその一つである。

この年の春、創業120年を機に山陽堂書店は店を改装し、2階と3階にギャラリーをオープンすることになっていた。新しく表参道でギャラリーを始めるのは容易なことではない。僕は山陽堂ファンの一人として何かできないかと思っていた。

というのも、いま書店の五世代目として活躍する萬納嶺君と僕の次男は小学一年からずっと同じサッカーチームという縁があり、青山には新潮社で編集担当する村上春樹さんの事務所があった(安西さんも和田さんも青山周辺に事務所があった)。店主の萬納幸江さんはじめ、満枝さん、秀子さん・優子さん・美和子さんの三姉妹が切り盛りする山陽堂書店はいつも笑顔にあふれていて、本を買いに来る常連の方々と同じように、大切な「こころの交差点」だった。

ちょうどその時期、僕は『村上春樹 雑文集』というエッセイ集で、安西水丸さん・和田誠さんの「あとがき対談」を編集していて、神宮前にある安西事務所に行く機会が多かった。

僕は長女の秀子さんに、「いつか安西水丸さんや和田誠さんが個展を開いてくださるようなギャラリーになればいいですね」と話していたこともあり、ある日、思い切って水丸さんに個展の相談をしてみた。

水丸さんは「よく時刻表を買いに行くんですよ。僕はあの店のお母さん(萬納幸江さん)が大好きでね」と語りつつ、「この時代にギャラリーを開くのはたいへんだから、やめたほうがいいんですけどね。でも一度行って、少し話をしましょうか」と言ってくれた。

その言葉通り、しばらく経った冬のある日、水丸さんは山陽堂を訪れて、様々な話をしてくれたのだった。

使い込まれた机や荷がほどかれていない雑誌や文具が置かれた書店の地下階にある小さな部屋で、水丸さんは、いつも自転車で時刻表を買いに来ることや、店で幸江さんに声をかけられて嬉しかったこと、そして少し真顔になって、画廊のむずかしさを諭すように話した。

しかし、少年の頃、自宅のあった赤坂見附と渋谷の間を、都電(青山線)に乗って山陽堂前を通った思い出を懐かしそうに語りながら、水丸さんの声はどこまでも温かかった。

楽しい語らいは二時間近く続いただろうか。多忙をきわめていたはずの「安西水丸画伯」は、青山界隈の昔話をしながら、「僕で良かったら、一年に一度くらい展覧会を開いていいですよ」と微笑んだ。

「いいんですか、本当に!」と何度も目を丸くした遠山さんの表情は忘れられない。

 2011年7月の第一回展に始まり、その後、水丸さんと山陽堂ギャラリー、ご家族(幸江さんのお孫さんたちとも)との交流も深まっていく。翌年の9月には和田誠さんとのトーク・イベントが開かれた。お二人の映画やイラストレーションをめぐる話は、山陽堂のギャラリー・トークならではの親密なものだった。

春と夏の企画展やSIS安西水丸指導の山陽堂イラストレーターズスタジオ)の開設、磯田道史さんや綿矢りささんも参加して下さったトーク・イベントなど、水丸さんの個展にはたくさんの方々が訪れた。

そんな思い出の詰まった"安西水丸 「七夕の夜」"が10回目を迎える。

 

水丸さんが亡くなって六年、SISを引き継いだ長友啓典さんは三年前に、和田誠さんも昨年惜しくも亡くなった。だが、その思い出はいつまでも尽きることはない。

安西水丸さんにしか描けない温かみのある線、ほんのり鮮やかな色彩、白壁に映える額装。窓の外から街のざわめきが微かに聞こえるトーク・イベントの光景は、まるで短編映画のシーンのようだ。

七夕の夜、耳を澄ますと水丸少年が乗った都電が、がたんごとんと青山通りを行く音が聴こえそうな気がする。

 

             な      夢   

 

僕の大好きな安西水丸さんの句である。

今年もまた、その思い出とともに、夏が来る。

 

 

寄せていただいた言葉の冒頭にあります通り、寺島さんとは約25年前に「チームメイトのお父さん」として出会いました。

寺島さんの次男がキャプテンで10番(の坊主刈り)、僕が8番(のベリーショート)。

(僕もかなり髪は短かったですが、ここは明確に分けさせていただきました)

寺島さんに金沢文庫のグランドまで連れて行ってもらったときのこと、

京急線に揺られながら「15分座って眠ると頭が冴えるんだよ」と教えてもらったことなどを思い出します。

「てらのお父さん」から「寺島さん」になりましたが、小学生の頃から変わらずお世話になっています。

ちなみに、次男の彼は高校生3年時にキャプテンとしてチームを率い、

下馬評を覆して東京都予選を勝ち抜いて全国高校サッカー選手権大会に出場。

"持っている"彼は開幕戦を引き当て、冬の国立競技場で躍動していました。

母校サッカー部では伝説のキャプテンとして名を残しています。

 

今回は来週からの展示のご紹介でした。

今日の追伸は、山陽堂書店 遠山がお届けします。

今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。
それではまた来週のメールマガジンで。

山陽堂書店

萬納 嶺


追伸

 

ギャラリーに改装するする前、今から10数年前のこと、

安西水丸さんが来店された。

レジで応対していた母は何を思ったか

「安西水丸さんでいらっしゃいますよね」と話しかけた。

私はその様子を

「ああ~おかあさん、またあんな風に話しかけちゃってえ」とちょっと離れたところから眺めていた。

水丸さんがどう思われたかはわからないが、

「おかあさん、話しかけられたくないお客様もいるんだから」と母に言った覚えがある。

あとで母に声をかけた理由を聞いたところ、芸術新潮に水丸さんのことが掲載されていて、

「こういう人とお話してみたい」と思ったからだという。素直な人である。

 

なぜ街の小さな一書店が、安西水丸さんに個展を開催していただけるようになったのか、

疑問に思っている方もおられることと思う。

その理由は新潮社の編集者寺島哲也さんが寄せてくださった「安西水丸展『七夕の夜』第10回に寄せて」に。

つながりの不思議を感じる。

 

後日談、それから4、5年経ったある日私は水丸さんに

あの時の母の行動をどう思われたかと質問した。

水丸さんはよく覚えていたようで、

私が「話しかけられたらいやな人もいるじゃないですか」と言うと

水丸さんは「いやですよ、でもうれしかったですよ」と笑いながらおっしゃった。

 

「私はまだ水丸さんとちゃんと話をしていない」と水丸さん亡き後母は残念そうに言った。

水丸さんとは一言二言しか交わすことのできなかった母だが、

水丸さんの横で満面の笑みで写っている母の写真が残っている。

(山陽堂書店 遠山)

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