山陽堂書店ではメールマガジン配信しています。
配信をご希望される方は件名に「配信希望」と明記のうえ、
山陽堂書店メールマガジン【2020年5月21日配信】
みなさま
こんにちは。
喫茶営業をお休みするようになって久しいです。
豆を挽く時は右回りだったか、いや、左回りだったか。
そんなことまで忘れてしまわぬよう、毎週カウンターに立って珈琲を淹れています。
淹れてから飲むまでがひとりで完結してしまうという寂しさを少しでも紛らわそうと、
いつもとは異なる珈琲豆を使ってみたり、ゼリーの固さを変えてみたりしますが、もちろん紛れません。
受け取ってくれる誰かとの共同の行為だったこと、はっきりとわかりました。
(それは本であっても、日々の多くのことにおいてもいえることですが)
そんなことを思っていたときに改めて手にとって読んだ本がこちらです。
「大坊珈琲店のマニュアル」大坊勝次(誠文堂新光社)2,800円+税金
右側はカバーを外した状態の書籍
山陽堂書店から青山通りを挟んだ反対側の通りに、大坊珈琲店というお店がありました。
2013年12月に入居していたビルの建て壊しに伴い閉店するまでの38年間、
店主 大坊勝次さんは手廻しロースターで豆を焙煎し、ネルドリップで珈琲を淹れていました。
大坊さんは焙煎や抽出のためにお客様との会話も叶わないことが多かったのですが、
合わせた目と目、そして一杯の珈琲を通して交わされる、言葉を伴わないコミュニケーションがあったことが本書からわかります。
本の中ではお店を始める前、お店を始めてから、そして閉じる決断をされてから、
その時々で大坊さんは何をどのように考えられていたのかも語られており、その人柄が伝わってきます。
具体的な焙煎の方法やブレンドの割合なども示されており、思わず手廻しロースターを調べてしまったのですが、
焙煎を始めてしまってはいよいよ書店員ではなくなってしまうと、いまのところそれは自制しています。
ひとつだけ、本には書かれていない話を。
大坊さんが山陽堂書店にいらしたときに話してくれたことで印象に残っている言葉があります。
「青山というまちにこんな珈琲屋があるという、うちのようなお店でもまちを形づくる何かを担っているという思いはありました」
大坊さんはいま全国各地で講師として焙煎やネルドリップ抽出の方法を教え、出張珈琲店を行っています。
※山陽堂書店でもこれまでに3回出張珈琲店を行っていただいています。
今日の追伸は、迷子になった話です。
〈今週のおすすめ〉
今回は、「日刊ゲンダイ」「HANAKO」 「Olive」 などの創刊編集長として一貫して編集畑を歩いてこられ、
樹木希林さんとも親交のあった編集者・椎根和さんにご著書を紹介していただきます。
◇『希林のコトダマ』椎根和著(芸術新聞社)1,500円+税
http://www.gei-shin.co.jp/books/ISBN978-4-87586-585-8.html
編集者、椎根和の「希林のコトダマ」(芸術新聞社)が発売されております。樹木希林さんは、すごい読書家でした。
そして百冊の本が書棚に残されていました。希林さんの数々の名発言、セリフの素になった百冊です。
椎根は、その百冊を読み、希林さんがどんな影響を受けていたのか、というところを書きました。
希林さんは、その本たちから発せられるコトダマを、ことあるごとに自分の発言に取り込んでいました。
そんな希林さんのココロの働き方が、リアルに判るように書いたつもりです。
また希林さんのココロの日記帳ともいうべき「雑記帳」も、内田也哉子さん、本木雅弘さんの好意で転載することができました。
そのなかには、たとえば、坂東玉三郎が、希林さんに、プロポーズしていた、とドキッとするような文章もありました。
表紙の絵は、希林さんのお孫さん、玄兎クンが描いたものです。まだ、九歳ですが、もう自分のタッチを持っていて、
とても九歳の小学生の絵とは、思えない、素晴らしい出来映えです。希林さんが、生きていたら、表紙の絵を一番喜んでくれた、と思います。
(編集者 椎根 和)
◇「光るサラダ」有元葉子(文化出版局)1,700円+税
サラダじょうずになるための26のヒントが。
まずは野菜を生き返らせる〝養生"が大切!(山陽堂書店 林)
〈Bookstore AID〉(5月29日まで・残り9日)
まちの書店・古書店をひとつでもなくさないことを目的に始まったプロジェクトです。
山陽堂書店も「図書券参加書店」として参加させていただいています。まちに本屋があり続けられるよう、プロジェクトにご賛同いただけましたら、ご協力のほどどうぞよろしくお願い致します。
Bookstore AIDについて詳しくはこちらをご覧ください。
今週も最後までメールマガジンお読みくださりありがとうございました。
それではまた来週のメールマガジンで。
山陽堂書店
萬納 嶺
追伸
家から小田急線沿いに進み、世田谷代田で環七に折れて、少し進んだら今度は井の頭通りに沿ってあとはまっすぐ。
代々木公園の間を行き、最後は表参道の欅並木を一気に駆け上がる。
毎朝自転車で40分かけて行くこの通勤路を、気まぐれで外して行くことがある。
雨上がりの先週火曜日もそうだった。
いつもは曲がる世田谷代田をまっすぐ。下北沢を通って店に行こうと思った。
何度か通ったことのある道を進んでから、それは「ここでもちょっと曲がってみるか」という出来心だった。
見覚えのない住宅街に入り込んでしまった。
ここで引き返せば良いものを「来た道は戻らない」という信条ほどでもないマイルールがそれを許さない。(引き返せば良いのに)
と、さらに進んだところで、いつかの記憶を呼び戻す道に出くわす。
しかし思い出されたのは、「前にもこの道を通って迷ったな」という記憶で、
あのときどうやってその状況を脱したかまでは思い出せない。
「ということはつまり(この前と同じように)これからまた迷子になるんだな」という確信をもって道を進む。
だんだんと人がまばらに見られるようになったところで、ようやく車も行き交うような道に出た。
たしかこの道は下北沢駅近くにも通じる道路だということにひと安心して、黄色から赤に変わろうとする信号で止まり、
そして、これから青になる信号を渡ろうとしていた大坊さんに会った。
「!」マスクの上から覗く目と目でお互いに驚きを伝える。
「偶然ですねぇ」と大坊さん。
「はい!すいません!」
急に謝るという失態を取り繕うように「いまちょうど(大坊さんの)本を読んでいるんです」と矢継ぎ早に伝え、
二言三言交わしたところで信号が変わった。
「それではまたね」と大坊さんは雨上がりの道を颯爽と去って行った。
なんと言うか。
道に迷うこともまた一興、と捉えて良いのだろうか。
とりあえず、「うちのお店こっちですかね?」なんてことを口に出さなくて良かった。