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2013年6月20日
「〈どこかの森〉のアリス展」 のこと。
今回の展示も「本と人」とのつながりの中で実現した。
二年前、山陽堂がギャラリーをオープンしたとき
ケータリングを山フーズさんにたのんだ。
山フーズさんを紹介してくれたのは、
広告批評の天野祐吉さんが校長先生だった広告学校で知り合ったSちゃん。
Sちゃんは山フーズさんの幼なじみだった。
 
ギャラリー第一回目の展示は、ナナロク社「川島小鳥 写真集 『未来ちゃん』出版展」。
ギャラリーになる1年位前に
ナナロク社さんをご紹介くださったのは、天野祐吉作業室の方だった。
 
オープニングでの山フーズさんのケータリングは大好評。
ナナロク社さんは谷川俊太郎さんの本『ぼくはこうやって詩を書いてきた』『生きる』
を出版されている。
ナナロク社さんとのご縁から、山フーズさんは谷川俊太郎さんの傘寿のお祝いも担当された。
 
その山フーズさんが昨年スタイリストの高橋靖子さんによる
「表参道のヤッコさん展」のときに
今回の展示でお世話になるスタイリストで谷川俊太郎さんのお孫さん、
谷川夢佳さんを紹介してくれた。
 
その谷川夢佳さんが、先月の「しごととわたしたち展」のトークセッションに参加してくれた時に、
本を出版したことを教えてくれた。
 
数日後、DVD付き写真詩集「〈どこかの森〉のアリス」(LD&K BOOKS)
を持ってきてくれた。
 
詩と朗読を谷川俊太郎さん、
音楽を息子の谷川賢作さん、
スタイリングを孫の谷川夢佳さん、
谷川家三代が関わった一冊の本だった。
 
DVDを流してみた。
 
軽井沢の風景
詩の朗読
流れるピアノの音色
 
ここのギャラリーで、この映像を流しながら展示ができたらいい、
そう思った。
 
そうして今回の展示と、
写真を担当されたtsukaoさんと谷川家三代のトークセッションが実現することになった。

みなさまのお越しをお待ちしております。
 

2013年6月11日
『草子ブックガイド展』が実現されるまで。
去年の3月ごろ、スタイリストの高橋靖子さんの展示のときだった。
ヤッコさんには毎週1回、4回もトークセッションをしていただいた。
ある日二人連れの大学生がメガネやさんの帰り道
店に立ち寄ってくれた。

しばらく言葉を交わしていたら
彼が、すてきな大人に会いたいというようなことを言っていたので、
ぜひヤッコさんのトークイベントに参加してみたらと誘った。

その大学生はK君。
それからしばらくして、休日出勤していたある日曜日の夕方、
K君が女の子と一緒に店の前を通りがかった。
なにかおもしろいイベントに参加した帰り道のようだった。
雑談のなかで、彼女が某社の編集の仕事をしている事を知った。
その担当が、今回の展示『草子ブックガイド』だったのだ。

数日後、K君が『草子ブックガイド』を持って店を訪ねてきた。
自分用に一冊、そして山陽堂に一冊、
合計2冊買ってきた。

学生にとって、730円2冊分、1460円の出費はさぞかし痛かったのではないだろうか。
彼の思いは十分に伝わってきた。

『草子ガイドブック』と山陽堂の出合いはこんな風に訪れた。

草子ブックガイドの作品自体の素晴らしさもさることながら、
私は、最後の作者のあとがきが心に残った。

玉川重機のこと  玉川重機(たまがわしげき)

 もう10年以上も前のことになりますが、私は本名の「玉川敏秀」で漫画を描いていました。
そして、この度、ほんとうに久しぶりに漫画を描かせて頂く事になったのですが、
それにあたって名前を「玉川重機」に変えさせてもらいました。

 玉川重機というのは、私の父が経営していた有限会社の名前でした。
大きな会社の下請けをしていたこの会社は、私が高校生の頃に色々あって倒産してしまい、
私はしばらく高校生ホームレスをすることになってしまうのですが、
なんだかんだで私は玉川重機が好きだったんだなあ、と歳を重ねる毎に思うようになりました。
 玉川重機には、それこそまるで『三国志』に出てきそうな豪傑がいっぱいいました。
ムチャクチャな人達だったけれど、みんな気持のいい人達でした。
当時、子供だった私には見せない顔もみんなあったでしょうが、自分は大好きでした。
 久方ぶりに帰省して、そういえばかつての玉川重機の人たちはどうしているだろうと聞くと、
何人もが亡くなっていて、びっくりしました。
あんまりにも人生を駆け抜けすぎじゃないか。
色川武大著『裏表人生録』に、もうこりゃ駄目だという時にふいっと、
何十年も前のゴミ屋さんの顔や、口をきいた事もない運転手さんの顔が思いがけなく出てきて、
あの人たちのことを覚えていてよかったと思うというような事が書かれてあったのですが、
その気持がなんだか、わかるような気がしました。
 私にとって、ひとりで倒れそうな夜に思いがけなく浮かんでくるのは
玉川重機の人達の顔でした。
 あの頃のみんなの汗やホコリや怒声や笑いや涙は、
自分の中で大事な所にあるのだなあ、と最近つくづく思うようになりました。
もう、誰もが忘れようとしている、あの頃のことを、
私はいつまでも覚えておきたいと思いました。
みんなの気持を体の中に持ち続けていたいと思いました。

「玉川重機」という名前にはそんな思いを込めています。
.
いつか玉川重機さんの展示をしてみたい、そう思った。
玉川さんの
「本を読んでもらいたくて描いた漫画」。
影はトーンを使用しない繊細な手書きの作品を。

展示を観たイタリアの人が、
so sensible,so kindly,so quiet,so sweety, Ispend best of my time in Tokyo・・・
と言葉を残していた。

みなさまのお越しをお待ちしておリます。

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