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2013年5月21日
68年前の山の手大空襲 5/25青山善光寺本堂13時より法要があります。

中学3年夏休み、戦争の話を家族にきいて
レポートにまとめる宿題があった。
戦後30年にもなっていなかった当時、
私の周りにいる大人たちは、ほぼ
あの太平洋戦争を経てきたひと達だった。

うちは3世代家族だったので、小さい頃から祖母から耳にタコができるくらい聞いていた言葉があった。
「にんげん、よくばっちゃいけないよ。」
祖母は、空襲を逃れ青山墓地に逃げていくとき
やかんひとつだけ持っていった。
それがどんなに役立ったか、よく話してくれた。
やかんの水をみんなで回し飲みしたという。

荷車に家財道具などたくさん積んで逃げていった人は
火が燃え移ったりして逃げ切れなかったという。

この頃の山陽堂は今の3倍の広さで
地上3階地下一階の鉄筋鉄骨コンクリートでできていた。
地下室には井戸があった。

このとき、山陽堂には東京大空襲で焼け出された親戚も含め数家族が暮らしていた。
空襲警報が鳴ると、
祖父・伯母・父以外の家族はひと足先に青山墓地に逃げた。
墓地に逃げる途中、道にうずくまるようにしていた老夫婦がいたが、
もう逃げるのをあきらめたようだった。

店に残った3人は、地下室の入り口を戸板で塞ぎ、
店の前で土を掘り燃えないように戸板の上にその土をかぶせてから逃げた。

祖父・伯母・父、
逃げたとき一緒だった3人は、
あっという間にばらばらになってしまう。

外にでたら、火の粉の大きいのがつぶてのように襲ってくる。
伯母は、もう青山墓地にたどり着けない、死ぬなら自分の家で死のうと、
店に引き返そうとした。

でも、たった数メートル進むのも思うようにいかず
やっとの思いで店のドアに手をかけ入ろうとした。すると、
「もういっぱいだからほかへ行け」
知らない男の人が、とうせんぼするようにして中に入れてくれない。
「ここは私のうちだから」
店の中は逃げてきた人でいっぱいだったので、
伯母は平積みになっていた雑誌の棚の上を歩いて2階にあがっていくと
祖父と父が窓の隙間から入ってくる火の粉を
水を口に含んで霧を拭くようにして消していた。
水をいっぺんにかけるとガラスが割れてしまうからだ。

2階にあがる階段のところには消防団の人がいて、
住まいには人が上がらないようにしていたようだ。

しばらくすると、水を欲しがる人の声が届いて
祖父は地下室の戸板をあけて、
バケツリレーのようにして水を上の階に運んだ。

10年近く前、空襲のとき店にいたという方から手紙といっしょに
菓子折りが届いた。
空襲当時、10代後半だったその方によると、
おんぶされていた赤ん坊にお水を飲ませようとしたら、
もう亡くなっていたそうだ。

ある女性の方は、店に入ろうと思ったら身体を大の字にしてとうせんぼされたので、
その男の人のまたの間を通って入ろうとしたのだけれど、
背負っていたお米の入ったリュックがひっかかってどうしても通れない。
仕方なくリュックを置いて股の下を通って、後から外のリュックを引っ張ってきたそうだ。

2年前、90歳位の女性は山梨からわざわざ店を訪ねてくれた。
「ああ、やっと来られた。この間来た時はお休みで。ああ、よかった。」
と、まるでこれでもう思い残すことはないというくらい喜んで帰られた。
「私が一番最後に入れてもらったの」
というようなことをおっしゃていた。

「うちの姉さんはここで助かったんですよ。」
94歳の男性は、今でも店に来るたびに言っている。
「○○さんの奥さんだからいれてやれ」
と店の中で誰かが言ってくれて助かった。

当時の店内の様子はどうだったのだろう。
祖父も伯母も父も、2階3階の住まいの方で火を消していたようなので
様子がわからない。

店に入ると
「水、水、水、南無妙法蓮華経・・・・・・・・・」
とお題目が聞こえていたと言う人もいる。

布団の上から水をかぶり続けていた。

金属の網の入った窓ガラスの向こうには
炎がおこす風で軍馬や人が舞い上がっていた。

一度、店に逃げ込んだのに「ここも危ない」と外に逃げていった娘ふたり。
母親は店に留まり助かり、娘一人は遺体で、もうひとりはしばらくして亡くなった。
そんな話をしてくれた、そのおじさんも先月亡くなった。

毎年5月25日の13時から、
青山善光寺で山の手大空襲慰霊のための法要が行われています。
法要の後、俳優の矢田稔さんが朗読をしてくださる予定です。
本堂に向かって山門をくぐった左手の慰霊塔のまえでは、
この日お線香が手向けられるようになっています。

5月25日、青山通り表参道周辺空襲で焼け野原に。
たくさんの方が亡くなられた日です。

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・桂おばあちゃん、ありがとうございました。
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