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2012年11月19日
川崎さんの家が跡形もなくなってしまった。
「不動産屋さんが、来るんですよ。こんなボロ家だから。」
川崎さん(仮名)のおばあちゃんは『きょうの料理ビギナーズ』を買いに来ると
よくこんな話をしてくれた。
不動産屋さんが、このかわいらしいおばあちゃんに失礼な言葉をぶつけていたと思うと、
私まで腹が立ったものだ。
川崎さんの家は戦後まもなく父親が建てたようだった。
話から、お父さんへの想いが感じられた。
だからこそ、ボロ家といわれようと何と言われようと、
父親が建てた家を大切にしたかったのだろう。

とっても控えめな、やさしい女性だった。
けれども、あることをとても熱心に語ってくれたことがあった。
あれは、山の手大空襲の証言集『表参道が燃えた日』が出版された5年ほど前のこと。
この本を見つけた川崎さんは、ご自身の空襲の体験を語りはじめた。
まるで、ついこの間のことのように。
火に追われ、逃げる場所もなく川に飛び込んで、へりに必死につかまっていたという。
上空からは、機銃掃射の弾が飛んでくる。
敵機の飛行士の顔が見えたそうだ。
近くにいた少年が撃たれたのではなかったか。

空襲がひと段落して、避難所に入ろうとしたとき、
敵の飛行士の死体をまたがなければ中に入れない状況だった。
それがとても嫌だったと話していた。
もっともっと話してくれたのだけれど、
あとのことは忘れてしまった。
きちんと記録に残していなかったのが悔やまれる。

ここ数年、川崎さんのおばあちゃんの姿が見えなくて、
近所の美容院さんに配達に行くと、おばあちゃんの事を尋ねていた。
この間、昨年亡くなったようだと教えてくれた。

そして今日、
「川崎さんの家、もう跡形もなかったよ。」
配達から帰ってきた妹が地下室の階段を降りてきて私に言った。
しばらくそのままだった昭和の木造の家がなくなってしまった。
不動産屋さんから何を言われてもがんばってきた川崎さんの家。

川崎のおばあちゃん、お父さん亡き後、そして身体が不自由だった妹さんを亡くされ後も、
よくひとりであのお家を守ってこられたと思う。

芯の強さを内に秘めた、戦争を乗り越え昭和を生き抜いてきた人がまたひとりいなくなってしまった。


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