小学一年生くらいの背丈の荷物が届いた。
差出人は、このあいだまで展覧会をしていた谷内六郎さんの奥様。
「絵を差し上げたいと思っているのよ」
先日お会いしたときそうおっしゃっていた。
そして、今日山陽堂に。
「どんな絵なんだろう?」
一刻も早くみてみたかったけれど
「ちょっとまって!写真撮るから」
プチプチのビニールに梱包されているところ、
六郎さんの絵のシールでとめてあるうす水色の紙に包まれているところ。
それぞれの様子を写真におさめた。
いつも比較的冷静な妹だが
めずらしくその様子に"早く早く、はやくみたい!"という空気が流れていた。
私だって見たいけれど、相方が急いているときは
「まあまあ、そんなにあわてなくてもいいじゃないの・・・」という気分になる。
いつもは、私が逆の立場で、
「もう、せっかちなんだからあっ」と言われている。
でも今日は逆だった。
たまにはいい。
というわけで、ふたをあけると薄紙越しに絵がみえた。
「わあーーー、かさのあなはいちばんぼしだ」
山陽堂の壁画の絵だった。
薄紙をはずした絵は、壁画の色よりはっきりとしていて
とってもいい。
きっと、上から眺めるのでなく絵と対面して見たいだろうと
私は絵を抱えて妹に向ける。(ほんとは自分が早くみたい)
「いい~」
今度は私の番、妹が絵を抱える
「いいなああ~」
店番をしているもう一人の妹にも早く見せてあげなくっちゃ、
二人で地下室から1階に。
「ほら」
「わあ、いいねえ~」と妹。
「早く飾ろう」
地下室から椅子を持ってくる妹。
一番背が低いのに椅子にのかって必死に背伸びをして引っ掛けようとするが、
なかなかできない。
「なんであたしがやらなきゃいけないの!」と言っても誰もかわってあげない。
でも手伝わないわけではない。
私は見ているだけだが、もうひとりの妹はせっせと棒を持ってきて協力している。
私の場合こういうことは、自分より若い者に任せるようにしている。
『傘の穴は一番星』の絵がレンガの壁を背にスポットライトを浴びた。
お昼過ぎに店に来た母は、絵に気づくと満面の笑みをたたえた。
こんなに風に喜んでいる姿をそのまま六郎さんの奥様にみてもらいたいとおもった。
母は、女学生のころにもどったような喜びかただった。
六郎さんの奥様とほぼ同時代の母は、この間初めてお会いできたときも
初対面にも関わらずふたり手をとりあって店の前でとってもたのしそうにに話していた。
旧知の友だちのように・・・。
とっても幸せなことだと思う。
六郎さんの奥様、すてきな贈り物をありがとうございました。
朝、銀行に行こうとおもったら,
つえを両手でつかんでからだを支え
真正面から店をみつめているおじいさんがいた。
声をかけたら
「お店変わったねえ」
戦後からこのあたりにお住まいだそうで私の顔をみて
「お父さんによく似ている」
と言った。
今からもう25年近く前58歳で亡くなった父のことを思い出してくれる人がいる。
開け放たれた店の自動ドアの前で、
じっと店をみつめながら
おじいさんはなにに思いをめぐらしていたのだろう。
2010年9月25日~と日付の入ったノートが手元に。
その日付の上には『石津謙介さんのこと』とある。
そう、
わたしはこの妄想ノートに石津さんの言葉や交友関係、
なぜ本社を青山に決めたか、
もっと石津謙介さんを知ってもらうためには
どんな方法があるか・・・etc.を
書き込んでいた。
なぜなら、ギャラリーをやると決めて
いちばん最初に頭をよぎったのが
石津謙介さんだったから。
石津謙介さんは、
日本のトラッドファッションの生みの親であり、IVYファッションを定着させた人。
1964年の東京オリンピックで日本選手団のユニフォームもデザインした。
http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/
そして、ここ青山という街のイメージをファッショナブルなおしゃれな街に変えていったひと。
青山が現在のような街になった根っこのところで石津謙介さんという存在は欠かせないくらい大きい。
石津謙介さんがいたから青山はファッショナブルなおしゃれな街になったといっても過言ではない。
TPO TIME PLACE OCCASION、
時と場所場合に応じた服装などの使い分けTPOという和製英語をつくったり、
トレーナーと名前をつけたのも石津謙介さん。
「石津謙介さんは青山を語るときなくてはならない人、
ぜひギャラリー山陽堂でなにかを!」
こんな思いを抱えながら、石津事務所さんのドアをたたいた。
緊張。
あの、あの、石津謙介さん息子さんが代表をなさっている事務所。
まだ、ギャラリーがなんたるかもわからぬ曖昧な状況のなか、
「なにかをやっていただきたい。」
という思いだけで、扉をたたいてしまった私。
石津事務所代表の石津祥介さんは
お父上謙介さんの面影のある柔和なお顔で
私の一方的な話を聞いてくださった。
来年は、偶然にも石津謙介さんの生誕100年とのことで、
ご協力下さるとのお返事もいただくことができた。
なんとありがたいことか・・・。
あとで、同伴した甥っ子から
「ひでちゃん、なんども同じことくり返し言ってたよ」
と指摘された。
舞い上がっていたと思う。
石津祥介さん、どうもありがとうございました。
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