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2011年2月26日
75年前のこの日、深々と雪が。-昭和11年2月26日-

昨日、80年来のお客様がお支払いにみえました。

領収書の日付を間違えて、2月26日と書いてしまって気が付きました。

あすは2.26事件のあった日だと。

今から、75年前の雪の朝、陸軍の将校たちが起こし未遂に終わったクーデター。

処刑された兵士たちの慰霊碑が、渋谷公会堂裏手に建っています。

 

当時、女学生だった88歳になる伯母は、

その日の朝、六本木方面にある女学校へ行こうと裏の戸をあけると、

かなりの雪が積もっていました。

青山通りを渡ろうとした伯母は、兵隊さんに突然大きな声で

「行くな、もどれ」

剣付き鉄砲で行く手をさえぎられました。

それはそれは怖かったそうです。

兵隊さんもギラギラしている感じですごい緊張感があり、

「なにかあったんだな」

とこども心に思ったといいます。

 

昨日の80年来のお客様のご近所には当時文部大臣だった松田さんが住んでいて、

この事件の3週間ほど前に亡くなっています。

「もしこの事件の時、大臣の松田さんが生きていらしたら、この表参道周辺も大変だったかもしれない。」

そんなことを店先で話しました。

 

 

 

2011年2月23日
どこさがしてもこんなに広告批評の置いてある本屋は、もうないと思います。が・・・。

 2008年も半ばを過ぎた頃、広告批評を出しているマドラ出版の広告学校50期最後の募集パンフレットに目が留まりました。これまでなんの興味も湧かなかったのになんだか気になって手に取って中味を読んだら、行ってみたくなりました。私はその自分の心の動きに素直にしたがって、コピーライターコース月組(宝塚みたい)に入学。そこでは、講師の先生方はもちろんのこと素敵な生徒さんたちとの出会いがありました。

 

 2009年春、最後の広告批評が出た時、山陽堂で広告批評フェアを開催。

 そのとき、広告学校で出会ったすてきな彼女にキャッチコピーをつくってもらいま 

 した。それが、このコピーたちです。山陽堂の壁に日替わりでこんな風に貼りまし

 た。

  t02200293_0800106710190951689.jpg 

山陽堂・「広告批評」最終号&バックナンバーフェアのキャッチコピー】

 

・殿堂入りした旬たちがやってきた!

 ・さよならのあいさつが「はじめまして」だっていい

・ちょっとしたタイムマシンご用意しました。

 ・教科書代わりに広告批評・バックナンバー

 ~日本のカルチャー近代史がここに!~

 ・教科書代わりに広告批評・バックナンバー

 ~オモシロイ教養、身につきます。~

 ・かつては文化人のたしなみでした

 ・広告を芸術的に語らせたら、右に出る者はいなかった

 ・そろそろ、現役を引退することにしました。

  BY 広告批評30才(人間年・約80才)

 ・現代に迷う人よ

 ・旅のおともに、古き良き日本の広告はいかがです?

 ・待ち合わせに早く着きすぎた?!

 古き良きコマーシャルでも一服いかがです?

 ・髪型を変えた。

ついでに生まれて初めて広告批評とやらを手にとってみた。

新しい自分、こんにちは。

 ・青山のみなさんにお別れのご挨拶がしたくてフルメンバーかけつけちゃいました。

 ・あの頃と今のあなたの交差点

 ・おまわりさんも、息抜きにどうぞ

 ・「広告批評」もって街にでよう

 ・見てこの表紙!

小脇にかかえるだけでおしゃれ度UPな「広告批評」★

 ・日本の過去をジャケ買いしよう!

 ・誰もが知ってるあのCMの誰も知らないヒミツがいっぱい

 ・水に流しちゃもったいない過去もある

 ・君が生まれたのよりずっと前の日本がわかる!

 ・昔の「今」をのぞいてみませんか?

 ・今をときめくクリエイターの卵時代に出会えるかも

 ・今をもっと楽しみたい人に、広告批評・最終号発売中。

 「あの頃」をもっと楽しみたかった人に、バックナンバーフェア実施中!

 ・30年分の広告の花束をあなたに

 ・「あの頃」は今からだって楽しめる

 ・個性的ってナンだ?普遍的ってナンだ?

 その答えは「広告批評」に載っている―――?!

 ・最近つい「細マッチョ!」とか口ずさんじゃうそこのアナタ、必見です。

 ~お茶の間目線でCM見つめて30年。

  「広告批評」業界引退セレモニー実施中~

 ・最新号は最終号。

 バックナンバーも再集合。

 「広告批評」、アドのドアを開け放し中!

 Ads bless U

 We have a lot of back numbers of KOHKOKUHIHYO, 広告批評, which is the king of    Japanese historical Ads magazines!

  Why don't u purchase it as ur fantastic SOUVENIR?!

 

彼女は、このキャッチコピーを選ぶのに、

たぶん100とか200位、いやいやもっとたくさんのコピーを考えているはずです。

あれから2年、

コピーライターめざし 時に壁にぶつかりながらも

地道な努力をつづけていた彼女は、

念願かない ついこのあいだ

コピーライターの道を歩きはじめました。

誠実な努力の人、

女の活躍を祈っています。

 

 

 

2011年2月22日
これがうちなんだろうなあ。-大騒ぎの巻-

美容院のお客様から、30代の男性誌でいいのありますかとお問いあわせ。

叔母が電話で対応していたら、

そばにいたお客さんが

お客さん「最近、SENSEがいいみたいよ。ほら、あと外国の俳優がのっている・・・」

  妹  「ゲーテ?」

お客さん「ちがう ちがう。あれはスーツ系。 最近の若い人、スーツ着ないもんねえ。

      ほら ジーンズとかの。」

  妹  「サファリ?」

お客さん「そうそう!」

などなど男性誌談義が始まりました。このやり取り文字にすると伝わらないかもしれませんが、それはそれはにぎやかでした。電話先の美容院さんにも全部聞こえていたようで、笑っていたようです。

お客さんからの助言もあり、結果、定期購読に追加されたのは

SAFARI、SENSE,UOMOの3冊となりました。

めでたしめでたし。

 

 

 

2011年2月20日
大売りだしの旗かと思った

showa6.jpg

昭和6年に建てた山陽堂の屋上に旗が掲げられています。

でも、その時風が吹いていなかったのか、

旗は下を向いたままです。

「いったい、どんな旗だったんだろう」

伯母にきいても伯父にきいても

昭和5年から約12年間働いてくれていた店員さんに聞いてみても

だれも覚えていません。

 

が、が、しかしです。

2.3年前のある日、店の2階で棚の一番上にあったダンボールの中を整理したところ

朱色に近い赤い布きれがみえました。

「えー、うちにも大売り出しの旗があったんだ」

と思いつつ ほこりだらけのビニール袋に入ったその赤い布を広げたところ

「あ、あった!!!!!!」

そうなんです、これがその時見つけた山陽堂の旗なのです。

よくぞよくぞ、戦火をくぐりぬけ 東京オリンピック前のあの怒涛の時代をくぐりぬけ

http://www.mishimaga.com/hon-watashi/017.html (詳しくはこちらへ)

埃まみれのビニールにくるまって 虫に食われながらも のこっていてくれていました。

びっくりしました、実物がみつかって。

出てきてくれて ありがとう。

残っていてくれて ありがとう。

この旗をながめながら、

「この字は初代が書いたんだろうな」

「万」と言う字を真ん中にもってきたのは、

「初代の先祖が岡山で営んでいた問屋の屋号『万納屋』への思いもあったのだろうな」

などと想像しました。

昨年、親戚や店員さんたちと共に開いた「山陽堂120年目を祝う会」では

会場にこの旗を飾ることができました。

flag.jpg

 

2011年2月19日
最後のいちまい

山陽堂のマーク。

このマークが復活したのは、今から約5年前。

マークは3世代目にあたるおばのたんすの引き出しに身を隠していました。

それも、たったの1まい。

よくぞ、よくぞ、生き残っていてくれました。

マークが残ってくれていたおかげで、

どれだけ現在の山陽堂に貢献してくれているかしれません。

たぶんこれができたのは、戦前、昭和の初期ごろではないかと思われます。

このマークは本を包む包装紙の真ん中に印刷されています。

当時山陽堂では、お買い上げいただいた本を紙でつつんでいたそうです。

包み終わると、この山陽堂のマークが真ん中にきたわけです。

(3世代目の伯父にききました。)

cover.jpg

引き出しの中で、敷き紙として使われていたようで・・・。

山陽堂書店の横書きが、右から始まっているところに時代を感じます。

それにしても、いったいどこのどなたがこのマークをデザインしてくれたのでしょうか。

当時、広告代理店と何らかの行き来があったようなのでその関係でつくっていただいたのでしょうか・・・。推測の域をこえませんが、いずれにしてもどなたがどんな思いでつくってくれたのか知りたいです。

 

2011年2月18日
本日 MINI 登頂最終日。

4週間にわたり、表参道に今にも突っ込みそうだったminiは、

本日を持ちまして、ふたたび旅に出ます。

こんどは、どこに出没することでしょう。

それにしても、

「壁画はどうしたんですか。」

と尋ねに来る方が多かったこと。

広告幕の後ろに壁画が隠れているのを確かめている人もいました。

それだけ六郎さんの絵は道行くひとたちの心に留まっているのですね。

六郎さんの絵は表参道の景色の中にとけこんでいるのでしょう。

見えなくなって心配をしてくれた方々、明日には

「傘の穴は一番星」がまた表参道にもどってきます。 minib.jpg

 

2011年2月17日
こんどはあかいのがのっかてるかな。

山陽堂屋上にのっかっているMINIも

MT.OMOTESANDO登頂成功して4週間近く経ちました。

そろそろさよならです。

今朝、妹からお客さまとのかわいいやり取りがあったことを

ききました。

 

きのう4才位の女の子がおかあさんとご来店

おかあさん「ほら、きいてごらんなさい」

おんなの子「・・・」

お母さん 「どうやってのっけたか、車のことが気になって」

 妹    「おばちゃんも知らないんだ。朝来たらのっかってたの、

       魔法かもしれないね。」

女の子  「こんどはくるまのいろがかわってるかもしれない・・・」

 妹    「こんどはきえちゃってるかもね」

 

私だったら、「夜中にね、たくさんの工事の人が来てクレーン車でつりあげたんだよ」

と夢も希望も無いような返事をしていたかもしれないです。

対応したのが妹でよかったです。

2011年2月14日
もうすぐこの店内ともお別れ。

根本的な構造は変えないものの、もうすぐこの店内の景色ともお別れです。

思い起こせば中学2年夏休みからの店番デビュー、今から40年近く前のはなし。

入り口には現在のレジも無く、私はただひたすら狭い店内の入り口で

「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と頭を下げていました。

時々今は亡き俳優の岡田真澄さんが

「・・・・ね」なんて、やっとティーンエイジャーの仲間入りしたばかりのわたしに

声をかけてくれて、こころの中は舞い上がらんばかりだったのを思いだします。

 

30年前くらいはお昼休みになると、この狭い店が人でいっぱいになりました。

店内には灰皿も置いてあり、タバコを吸いながら本を探している人もいました。

亡き父は、一日にピース2缶も開けてしまうほどのヘビースモーカーだったので

今の時代では耐えられなかったと思います。

 

いろいろなお客様にご来店いただきました。

これまで山陽堂を踏み固めてくださったお客様ひとりひとりの足跡と共に

あたらしい山陽堂書店を築いていきます。

3月5日山陽堂120歳の誕生日が、現店舗の最終日となります。

最終日は16時閉店です。

 

 

 

 

2011年2月 9日
ナナロク社フェアのこと

1976年生まれの社長。

だから、ナナロク社。

まだ、3さいの出版社さんです。

生まれてきた こどものような本たちは 8冊。

以下、ナナロク社さんからのメッセージです。

 

こんにちは、出版社のナナロク社です。

本屋さんに来ると、不朽の名作から、話題の新刊まで、

たっくさんの本がありますよね。

もう本ってこれ以上つくる必要ないんじゃないかなーと、

思ったりします。一生かかっても読み切れないじゃん。

 

それでも、生きているといろんなことがあるから、

こんな気持ちを伝えたいと、そんな思いも生まれてきます。

 

ナナロク社をはじめてから、やっと3年がたちました。

僕たちの頭の中にしかない想像だけの本なんてのもあります。

種を植えてもいっこうに芽がでないものだってたくさんです。

 

いくつかは形になりましたので、

こうして並べることができました。

 

ここにいるのが、ナナロク社の本たちです。

どうぞ、手に取ってなでたりのぞいたりしてやってください。

 http://www.nanarokusha.com/

 

 

2011年2月 7日
miniが山陽堂屋上、雪山の上に

先月の22日土曜日、ミニが山陽堂屋上に登頂!

今月の18日までです。

谷内六郎さんの壁画はかくれてしまいましたが、

19日以降にまた登場します。

幕で覆われているだけですから安心してください。


026.jpg

039.jpg


2011年2月 4日
ありがたいなあ・・・。

きょうは、ありがたいなあ・・・。と思えることがたくさんあって、

しばしそのありがたさの中に身を任せてしまいました。

 

「おまちしていました。」

「おつかれさまでした。」

「いかがでしたか?」

「いっしょにいきましょう。」

「えー、わたしにやらせていただけるんですか?」

「たのしみにしています。」

 

これだけでは、なんのことだかわからないと思いますが、

書きながら、この人たちの顔を思い出しています。

 

 

 

2011年2月 2日
思いつづけていたことが実現しました

私たちの次の世代が運んできてくれたご縁でこのホームページはできました。

何年も前から思っていたのに なかなか一歩が踏み出せずにいました。

ホームページビルダーを使ってつくろうと 甥っ子にまかせてみたけれど 悪戦苦闘。

そんな時 彼に思いがけないところから 救いの手が。

それが 今回このホームページをつくってくれたindeeeedさんの方たちでした。

なんども山陽堂に足を運び

山陽堂の話に耳を傾け

お客様との様子を見聞きし

対話をして

山陽堂の私たちでさえわからなかったイメージを大切に

形にしてくれました。

これからは山陽堂が色を重ねていきます。

ここにたどり着くまでにいろいろな方にご助言いただきましたこと

御礼申し上げます。

これからは山陽堂ホームページも

よろしくお願いします。

 

 
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